第23回(通算81回)「ハイブリッド・コミュニティ」の創造とその価値

【モノからサービスへの流れの先にくるもの】

私は、読者の皆さんと同じく、工場におけるモノづくりを通じて多くを学びました。若い頃は、日本のモノづくり技術は世界一と言われ、海外からその技術を学びに来られる方々が大勢いらっしゃいました。私自身も職場で、外国の大学からのインターン学生の指導係を何人も務めたことがあります。

その後、時代の変遷があり、経済活動の主体がモノからソフト・サービスへと移っていく様子を、まさにリアルタイムで体験してきました。

最近は、「デジタライゼーション」や「サブスクリプション・マーケティング」という言葉に示されるように、情報やサービス自体が価値を持っているのであって、モノ自体は単なるハコに過ぎないとでもいうような風潮を感じますが、私自身は「でも、やっぱりお仕事として大切なのはモノづくりで、これが基本でしょ」と思っています。きちんとつくられたモノの在庫は、安心のよすがとなるからです。

一方、毎日の生活者としての視点で振り返ると、安心というのは人との関わりにおいて意識される気持ちではないかということに気づきます。そう考えていくと、モノに始まり、ソフト・サービスへと形態を変え、さらにその先に求められるのは何かと考えると、「コミュニティ創造」という言葉が浮かび上がってきました。

【「ハイブリッド・コミュニティ」とは】

いちばん身近なコミュニティは、家族や地域社会ではないかと思います。1人の人が生まれ育っていくベースとなる場であり、生活の基盤となる、血縁・地縁で物理的なつながりの確保されたコミュニティですので、これを「リアル・コミュニティ」と呼ぶことにします。そして、このリアル・コミュニティの集合離散により拡大されて、国家や国際社会が形成されているという見方ができます。

昨今、近年発達のICTにより、人類がこれまで経験しなかったタイプのコミュニティが誕生しつつあります。SNSに代表されるインターネットつながりのコミュニティです。以前話題となった仮想空間を舞台とするセカンドライフなど、広義にはソーシャルゲームと分類されるもので、ポケモンもその仲間ではないかと思います。これらは、物理的・身体的な接触を伴わない点において、「ヴァーチャル・コミュニティ」と呼んでいいのではないかと思います。最近は、ヴァーチャルな仮想空間に逃避する方が増えているように思います。

なぜ、ここに逃避するのかというと、ここにはある種の自由が存在するからです。いろいろな自由の内、最たるものが、出入りの自由です。血縁・地縁、さらには法律・契約で縛られているリアル・コミュニティは生まれた場所で決まってしまい、そもそも自分の自由意思で入っているわけではないこともあります。また、いったん入ってしまうと簡単には抜け出ることが困難であることが多く、そのことから、生き辛さや閉塞感に苛まれる人々も多く存在します。それに対して、ヴァーチャル・コミュニティは、自分で選んで入り、嫌になったらいつでも抜けることができます。

生活の基盤となる確かさはあるけれど息苦しさもあるリアル・コミュニティと、自由だけどふわふわしているヴァーチャル・コミュニティのいいとこ取りができないものかと考えて、生まれたアイデアが「ハイブリッド・コミュニティ」です。

トヨタのプリウスに代表されるように、ハイブリッド技術は日本のお家芸ではないかと思います。中世の仏教伝来や近代の西洋文明を吸収しての独自文化の創出も同様です。

では、具体的に「ハイブリッド・コミュニティ」とはどんなものでしょうか。それは、生活基盤としての経済活動が、それぞれのコミュニティ内で循環し継続可能なローカル経済を実現します。また、複数のコミュニティが、同一空間内に多重化されて存在させることを可能にする、精密な情報コントロールを実現することができます。

このうち、ローカル経済実現のキーアイテムが、先月号に示した未来のスマートウォッチというわけです。

【ソサエティとコミュニティの違い】

ハイブリッド・コミュニティという発想は、もともとは、現政権および経団連のすすめる国家戦略「 society5.0」 に触発されて生まれたものですが、society(ソサエティ)とcommunity(コミュニティ)の違いは何だろうと疑問に思い、英国のロースクール留学から最近帰国されてNGO関係のフリーランス業務をされている友人 に相談したら、次の回答をいただきました。
「既存の制度的背景を考えると、構成人数という数の包含関係ではありませんが、多くの場合、包含関係にあるのが現状です。あくまで私の考えですが、 私はコミュニティは価値観/文化的背景/目的/場所を共有しているもので、ソサエティ はむしろもっと社会的な基盤/関係を構造的に共有しているものだと感じています。すべての人がこのフレームで使い分けをしているわけではありませんが、少なくとも、国連の文書はこの感覚で使い分けられています」。

これを聞いて、社会の中に多重化されて複数存在するハイブリッド・コミュニティ間での暮らしやすさ競争を促すことが、よりよき社会を創造する戦略になる可能性があるのだと意を強くしました。日本発の技術が世界をカイゼンできると考えるとうれしくなります。また、どちらの言葉も英語であり、外来文化の所産であることに気づきました。

であるならば、日本発のハイブリッド・コミュニティには、もっとふさわしい呼び名が必要ではないかと思います。読者のみなさまも、一緒に考えてみていただけないでしょうか。

第22回(通算80回)仮想通貨の信用失墜とその未来

【仮想通貨の信用失墜】

連載の内容を考えていた春分の日に「リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表した」というニュースが流れてきました。2018年に入り、仮想通貨が大きな話題になったので、本号ではこの仮想通貨について考えたことや感じていることについて述べたいと思います。

最初はその可能性に期待を寄せられていた仮想通貨ですが、度重なる不祥事によって、ついに通貨としての信用を失ってしまい、とうとう、リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表するにいたりました。20カ国の国々が結束して規制に乗り出すことになったわけです。

ビットコインにしても最近大問題を引き起こしたNEMにしても、仮想通貨という名称で呼ばれ、通貨の一種という扱いを受けていますが、これはちょっと違うんじゃないかな、と常々、私は思っていました。G20の声明においては、仮想通貨ではなく暗号資産という言い方をしていたそうです。

一般的に仮想通貨は、よく言えば金融商品ですが、その実態はギャンブル商品に限りなく近いものになってしまったのかもしれません。ただ、ビットコインは、当初は海外送金目的で中国の方々がよく使っていたそうですので、最初からギャンブル商品の側面だけを持っていたわけではないようです。

とりあえず、通貨の機能を有するものは法定でも仮想でも暗号でも、すべて“通貨”と呼ぶことは許容することにして、通貨にとって何が最も大切かというと、それが信用なのです。その信用の核をなすのが、価値の維持ということだと私は考えました。だから、各国の中央銀行は過度のインフレやデフレを警戒するのです。

 

【法定通貨も仮想通貨の側面を持つ】

そのように考えると、為替レートが変動する法定通貨も、信用失墜が進行中の仮想通貨の一種と言えるのかもしれません。皆で協力し、汗水垂らして一生懸命実現したコスト削減の成果が、わずかな為替変動で一瞬にして吹っ飛んでしまうというのは、誰が考えても異常なことです。

一方で、仮想通貨は値上がり期待の投機対象として、市場で売買されることで価格が変動するわけですから、需要と供給で価格=価値が変動する通貨ということになります。ビットコインは総発行枚数が決まっているということなので、まさに値上がり期待で売買される投機対象ということになります。

最近、流出問題を起こしたNEMについては、問題が異なるように思います。価格変動による信用失墜ではなく、流 出による価値蒸発ということになるからです。大昔の金貨や銀貨のように、形があり重さのある通貨では起こらない現象です。

この場合、流出先に価値が移動しただけならば、また別の問題となりますが、いずれにしても電気信号あるいは磁気信号としての情報自体に価値を担わせる形態の通貨が逃れることのできない、こちらも信用不安問題です。

どちらかと言いますと、ブロックチェーン技術を使った通貨の実体がインターネット上を流れ続けるデータセットであると考えると、その流れが止まる危険性は常にあります。なぜなら、ブロックチェーンというのは、地球上に張り巡らされたネットワークの中を、1秒間に地球を7回り半するスピードで流れ続けるデータセットたる情報パケットに、各地で発生した取引データを次々に追加書き込みしていくところから始まるという理解ができるからです。すると、ネットワーク配線の物理的な断線・分断だけでなく、電力供給が途絶えることにより、情報パケットの流れが止まることで、情報が消失してしまう危険性があるからことに気づきます。これは恐ろしいことですよね。

【フェリカを開発したソニーへの期待】

日本でも、最近は電子マネー支払いが急速に拡大していますが、SuicaやEdyなど以前からある電子マネーと、〇△Payと呼ばれるものとの最も大きな違いは何かご存知でしょうか。

それは、スマホのバッテリーが切れていても使えるかどうかの違いです。バッテリーが切れたら使えないお金じゃ不安になりますよね。また、インターネット上のデータの流れが止まったら消えてしまうようなお金も不安です。SuicaやEdyは、カードやスマホにフェリカチップが情報をローカル保存している点において、価値蒸発の不安がない点で通貨としての優位性があるのです。

流れを止めない適正在庫理論の示すところでは、適正量の在庫がないと流れが止まってしまいます。通貨も、「情報をローカル保存する」ことは在庫があることにつながりますから、この手間をかけることで、「流れを止めないこと」を可能にし、信用を担保しているわけです。

SF的発想になりますが、もし世界一斉停電が長期間続いたときに、電源バックアップがなくなると消失してしまうような通貨だけで経済が運営されている状況を想像してみてください。人間は電気がなくても生きていけるし、商取引もするでしょう。でも、電気がなくなったら使えなくなる通貨しか世界になかったとしたら、経済活動がストップしてしまうことが理解できると思います。

また、たしか、フェリカはソニーの開発した技術で、そのソニーが最近スマートウォッチに積極的であることを知り、大いに期待しています。スマートウォッチは、民主的で分散型の民間通貨システムを実現するためのキーテクノロジーになりうるからです。

なぜなら、生体センサーを活用して未来の基軸通貨たる生命通貨のマネジメント機能に発展可能なことと、日本のお家芸である小型・軽量化技術により、先月号で適正在庫コミュニティとして触れた「ハイブリッド・コミュニティ*」内で通用するローカル通貨として、民間通貨間の利便性競走を、ハイブリッド・コミュニティ間の生きやすさ競走に発展させる可能性があるからです。この点については、次号移行でまた取り上げる予定です。

*家族や地域社会などの伝統的なリアル・コミュニティと、SNSなどに代表されるバーチャル・コミュニティの中間に位置するコミュニティ

 

第21回(通算79回)恵方巻と、食の安心コミュニティ

 

【コンビニでのバイトが在庫管理の原点】

 

私の発行しているメルマガ『週刊適正在庫の視点から』でコラム欄を担当している尾関優歩さんから、本掲載への応答として、「肉まんは、分け合って食べるとおいしい」というメッセージをいただきました。

 

このメッセージから、食の安心コミュニティという着想が起こりました。食べる人だけでなく、畑を耕す人、漁をする人、牛を育てる人、運ぶ人・・・そして料理する人、という人々のつながりの中での食をとらえるべきだという発想です。

そんな折、「恵方巻きにみる食品廃棄ロス問題」を解説をして下さいと依頼されましたので、昨年まで、経産省・国家プロジェクトの有識者委員として食品廃棄ロスを削減する活動を3年ほど行っていた経験を踏まえて、この問題を考えてみたいと思います。

 

この場合、廃棄ロスを極力少なくするためには、適正在庫を計算して、その値に基づいて生産計画を立てればよいというシンプルな結論になってしまうのですが、わかっていてもなかなか思い通りにいかないというのが世の常なので、そのあたりを地頭アプローチで攻めていこうと思います。

恵方巻きの大量廃棄問題は、コンビニが恵方巻きキャンペーンを始める様になった10年位前からということです。なので、まずは私とコンビニとのかかわりから話を始めたいと思います。

 

もう40年以上昔になりますが、大学生時代に、安下宿の近くにできたばかりの、セブンイレブンでバイトをしていました。冷蔵庫への飲料の補充係を担当していたのですが、思うに、在庫管理とのかかわりは、このバイト経験が最初といえるかもしれません。完全防寒装備で冷蔵庫の中に入って、補充陳列作業をするのですが、1回の入室作業が終わると眉には霜がつもり、手はかじかんでしまい、しばらくは動けなくなります。そのため、いかに最適なタイミングで補充作業を行うかという、在庫管理問題とスケジューリング問題を複合したようなことに頭を使っておりました。

 

待機時間にはバックヤードで店長さんから、いろいろなお話を聞いたりして、とても良い人生勉強になりました。お若い店長さんでしたが、深夜にコンビニにたむろする若者からも慕われる立派な方でした。その後、コンビニやスーパーの店員さんや店長さんたちとすぐに仲良くなることが多かったのは、この時の経験が活きているのかもしれません。

 

 

【恵方巻き問題の現場確認】

 

こんなわけで、いつも仲良くしているコンビニ・スーパーの店長さん3人に早速、お話を聞きに行ったところ、今年の恵方巻きは大量に廃棄をしなくて済んだのですよという答えが返って来ました。ローソンさんとは、先の経産国家プロジェクトで仲良しになり、お互い本社が近いこともあってランチ会などもやっていた関係でした。

 

その店長さんが開口一番、「廃棄はゼロでした。欠品の苦情もありませんでした」と胸を張っていうのです。新店舗なのでほかのコンビニの動向やこれまでの経緯は分からないということでしたが、自店の仕入れ数は見事に的中したようです。業界情報としては、今年はスーパーが生産量を絞り込んだので、大量廃棄はなかったということでした。

 

スーパーの動向も知りたく、いつもタイムセールのお惣菜を酒の肴に買って、お世話になっている地元スーパーを訪ねたところ、店長さんは、いつもは値引きタイムセールがうまく働いて、食品廃棄ロスはないのだけれど、今年の恵方巻きはちょっとだけ捨てちゃいましたと残念そうにしていました。ただ、その数を聞いたところ、本当にわずかでしたので、誤差範囲と認定できます。食べ物を捨てるのはよくないことだという意識が徹底していて、それでタイムセールをきちんとされていたわけでしたし、このお店は、バックヤードで調理をするので、製造販売一体運営でも在庫ゼロにはならない事例といえます。 次に訪れたのは一番馴染みのセブンイレブンですが、ここも今年は廃棄ゼロで済んだということでした。

 

つまり、恵方巻きの食品大量廃棄問題は、実は今年に限っては存在しなかったようです。ただ、私の身近な事例に限られますので、本当に今年は恵方巻きの大量廃棄がなかったのかというと、断定はできませんので、直接相対してのお話内容と、店内現場の印象から判断したところを以下に述べたいと思います。

【大事なのは信頼できるコミュニティづくり】

 

3店舗に共通するのは、店長さんも店員さんも皆がお客様に良質の食べ物を安心して食べてもらいたいという気持ちを持っていることでした。最後の事例のセブンイレブンの店長さんは、自らの身体で、20Kgのダイエットを宣言し、その過程を公開し、見事に達成したのですが、自分のお店のお弁当を毎日2回食べたうえでの、ダイエットだったというのがすごいです。昔の姿を知っていましたので、確かにスッキリしたことが確認できました。

 

成功の決め手は商品すべてにカロリー表示があることで、1日1,500キロカロリーにコントロールできたのはこのおかげだということでした。セブンイレブンは食品などの添加物を極力排除することに努めているので安心だよ!ということを、自らの身体を使ってお客様に示してくれたと言えます。

 

このように、恵方巻の廃棄ロスをなくすには、食の安心を目指すコミュニティを選択できるシステムをつくるというのが、私の回答となります。さらに、欠品粗利保証とか、3分の1ルールとか、返品商慣習などといったサプライチェーン体制に起因する問題には、適正在庫コミュニティづくりという構想があります。これらのコミュニティ構想については、そのキーテクとなる民間通貨との関連で、後ほど紹介したいと思います。

第20回(通算78回)生産活動の最小単位は1日分

 

【生産サイクルの適正値】

一昔前に「週次生産」が流行し、その後は毎日MRPなどの多頻度需給化が生産管理の世界では潮流となっているように思えます。

なぜ多頻度にしたほうがいいのかというのは、その方が在庫削減が進むからという点にあったのですが、ここへきて在庫削減の行き過ぎへの反省・反動から、需給調整サイクルの適正値への関心が増えているように思います。

 

今年の初めに時間サイクルについて面白い考察をしたので、まずはこれについて紹介します。

 

「コスモクリーナー=放射能除去装置」を開発できないものかと大真面目に研究活動を進めていることは、この連載でもたびたびご紹介していますが、その技術の種が一つ見つかり、それが時間サイクルの素となる振動数に関わることなのです。共振現象を利用することで、 小さなエネルギーで放射性物質を振動させて瓦解させ、より安定な原子に移行させようという発想なのですが、次のように考察を進めました。

 

宇宙には、生命誕生の遥か以前から音楽が流れていると言われますが、 この音楽=振動にわが身をさらして、自ら共振し、増幅しようということを考えました。

宇宙に流れる太古からの音楽とは何か? それはおそらく、万物を共振させることのできる振動で、 数字でいうと「1」の音ではないかと思っています。 あらゆるものの固有振動数に共通する公約数になる振動数はなんだろうと考えるとそれが1だからで、1はすべての数を割り切ることができるからというわけです。

 物理学の世界では、プランク周波数という概念があって、 それは最小の時間長さ=プランク時間の逆数なので、 あらゆる数の約数である数字1の振動数に近いものと考えられます。そして、このプランク周波数の値は、1.855×10 ₄₃とされています。途方もなく大きな数なので、この振動を、筋肉や機械の力で起そうと思っても無理な話なので、 元からある振動に共鳴しちゃえというわけです。この振動=音楽の流れる場所は、おそらく、仏教の唯識論、あるいはユングの共同無意識仮説で示されるような場であると思います。

その場、これを私はクラウドと呼ぶことにしますが、こことのパイプとなって、宇宙の音楽=振動をこの世界に伝えること、これが、コスモクリーナー開発戦略の骨子です。

パイプ役になれる人をたくさん増やせるように、その技術・方法を確立して、わかりやすく伝えること。この活動は、適正在庫の活動と重なる部分が多くありますので、本年以降の私の活動目標はこちらになっていくだろうと予感しています。たとえば、プランク周波数を手掛かりに、発注サイクルの適正値を定める理論の解明等などなどです。

 

以上のようなことを年初に考えたのですが、話を生産サイクルに戻して、生産活動における「1」は、1年なのか1ヶ月なのか1週間なのか1日なのか・・・と考えていくと、それはやはり1日ではないかと思います。地球人たる人間が行う活動であって、地球上で行うという前提をおくと、時間の起源たる日の出/日の入りが根本になるだろうと思うからです。

また、これが需給調整サイクルということになると、需要サイクルも合わせて考えることになりますから、商取引のサイクルも考慮する必要が出てきます。

【生命通貨の最小単位】

以前この連載で「生命通貨」と称して提案した、現在の基軸通貨を、生命量=生涯時間数に置き換えようというアイデアがありましたが、この通貨の最小単位を考えると、やはり1日分に行きつくように思えます。

実は、もし生命通貨を実現できたとしたら、その単位は「momo」にしようと考えています。ミヒャエル・エンデの童話『モモ』に由来します。基本単位がmomoで、補助通貨単位はまだ未定です。戦前の、円と銭のような関係とお考えくださいませ。

そしてこの生命通貨は、万人がほぼ公平に持って生まれてくる生涯時間数、つまり生命量となりますので、地球に生まれて生活する生きものとしての活動サイクルに基づく単位とすべきであると考えたわけです。

とすると、時間の起源たる日の出/日の入りのサイクルで、朝起きてから寝るまでの間で働いた時の賃金とするのが最も自然ではないかと考えました。つまり、1momoが日給相当の価値を持つことになります。

人と人の間の価値の交換を仲立ちするのが、通貨本来の機能であるとすれば、1人の人が1人の人に1日かけて、自分の時間を提供するというのが、持続可能で自然なサイクルであると考えたわけです。

 

【星の王子さま】

サン=テグジュペリ作の『星の王子さま』に出てくる王子様の出身星はとても小さいので、地球で1回日の出と日の入りがある間に、44回も夕陽を見ることができるという話をふいに思い出しました。

星の王子さまはこうも言っています。

「星がきれいなのは、星のひとつに花がかくれているからだよ」

「砂漠がきれいなのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」

心を惹かれるからきれいに見えると考えると、コスモクリーナーや生命通貨デバイスの開発に夢中になるのは、そこに花や井戸がかくれているからだろうなと思います。ものづくりに夢中になるのもきっと同じではないでしょうか。

 

第19回(通算77回)何度でもやり直せるという安心

【時間の起源はオタク?】

 

パソコンはおろか、電気もなかった時代のオタクは何をやっていたのでしょうか。

 

きっと、空を見ていたのだと思います。太陽が朝昇り夕に沈み、また翌朝昇る。 月が満ちて欠ける。 季節の星座が繰り返し巡ってくる・・・。現代でも、こんなに面白いものはないですからね。

 

このことから、私は”時間”という概念は、オタクたちが生みだしたのだと思います。つまり、時間の起源は、日が昇って沈み、また昇って沈むという繰り返しに気づいた発見にあると考えるわけです。すると、時間とは過去から未来に向かって一直線に進んでいくのではなく、ぐるぐると回っていくものだということができます。

 

このような時間概念からの論理的帰結が、「なんどでもやり直せる」という事になります。今日がだめでも明日がある。今年はできなかったけど来年はきっとうまくいく。今生では結ばれなかったけど来世ではきっと・・・ と考えることで、生きることがずいぶん楽になります。

 

では、ものづくりの世界ではどう考えたらいいのでしょうか。品質不良や大幅な納期遅れを出してしまったら、顧客や市場そのものを失うことになりますから、やり直せばいいやとは思えませんね。しかも、手直しが多発するとコスト増を招く結果となりますし、納期遅れの原因にもなりますから、1発合格が理想ということになります。

しかし、脳科学の知見によれば、失敗してはいけないと強く思いすぎると、失敗率は上昇するのだそうです。なので、何事も「だめだったらやり直せばいいや」と考えられる余裕がある方が、結果的に成功率は高くなるわけです。

 

【生命は循環しながら続いていく】

顧客を失い、市場まで失ってしまったら、商品寿命は尽きることになります。つまり、生命が失われたというわけです。一つの商品だけでなく、会社全体の売上が止まったり、コスト増に追いつかない状態が長く続くと、経営が立ち行かなくなって、やがては倒産、つまり会社としての生命の終わりとなります。人の一生でも同様で、生きていれさえすれば何度でもチャレンジを繰り返すことができますが、命を失ってしまったらそこでお終いです。

 

ここまで、命の終わりという言い方をしてきましたが、生命とはそもそも何なのかを、この連載で考えたことがありました(2017年11月号参照)。その時再定義した生命とは、「循環しながら続いていくもの」というものでしたが、ここで先の循環時間とつながってきます。

親の個体が死んでも子供につながって続いていく、あるいは牛一頭の生命は途絶えても牛肉を食べて生命を維持する人間につながって続いていくというのが“循環”という言葉の意味するところですが、この循環と、日の出と日没の繰り返しを同じ事であると捉えるわけです。

すると、生命=時間という等式が成り立つことになるのではないかと思います。

【流れを止めない適正在庫】

時間、すなわち生命が続いていくことで生まれる流れをモノの流れとして捉えたとき、流れを途絶えさせないためには、要所要所に適正量の在庫を配置することが必要になります。さらに、これだけでなく流れを積極的に生み出すためにも、局所的な過不足を作り出すことが必要とされますが、これも各所の在庫配置バランスによって実現可能となります。マーケティングの基本は、局所的な過不足を人工的につくり出すことにあると言うこともできるわけです。つまり、3ヶ月後に15Kg減量に成功してスマートになった自分自身のイメージと現状の姿とのギャップを生み出すことで、減量サポートというサービスの売上増を狙うという訳です。こう考えて、テレビや雑誌に出てくるカッコイイ美男美女は、現実世界にはまれなマーケティングツールなんだと理解するとコンプレックスが和らぎませんか?(笑)

 

また、先述したようにやり直しが許されるという心の余裕は、不具合が出たときに後工程を止めない為の安全在庫を保有することで生まれます。また、工程能力も歩留まりも変動します。最終需要も増減するため、流れの速さは常に一定にはなりませんから、中間在庫を適正量保有することで工場の中に流れがつくることができます。工場の外に目を向けて、サプライチェーン全体で考えてもしかりです。

 

適正在庫という考え方は、「在庫は悪だ」に対するアンチテーゼとして示したのが始まりでした。在庫そのものが悪ではない、適正量管理ができないことこそが問題であると。そして、在庫の起源が農耕生産によって蓄えることができるようになった食料在庫であることから、在庫自体は安心のよすがとなる善なるものであるという主張をするようになって今日に至ります。

 

そして、最新の適正在庫の考え方は、流れを止めないために必要とされる最小限の在庫量であるというところまで進化しました。ここで、流れを止めないということの意味を深く考えると、やはり安心のよすがということに行き着くことに気がつきます。つまり、流れが止まらずに続いていくことで、何度でもやり直すことができるということが、安心を生み出すと考えられるからです。

 

太陽が夕に沈んでも、明日の朝には必ずまた日が昇るということ、つまり明日にまたやり直せるということが、一番の安心のよすがであり、その繰り返しを支える技術が、流れを止めない適正在庫の技術なのです。