第25回(通算83回)セクハラ、地震騒動から見えてきたこと

 

【言葉にできること、してはならないこと】

 

「見える化」が生産管理のキーワードであった時代がありましたが、モノづくりの現場には言葉にできないノウハウがたくさん残っています。現代の名工といわれる職人さん達の加工技術、技能には、マニュアル化不能なノウハウが多くあります。

かく言う私自身の持っている技術・技能の中にも、どんなに頑張っても言葉で表しきれないものがたくさんあるようです。それは、本人にとっては当たり前のことで、わざわざ説明する必要がないだろうと思えることでも、他の人から見ると不可思議で、相対してとことん説明している過程で始めて明らかになるという経験をたくさんしてきています。「洞察力がある」とか「引き出しをたくさんお持ちですね」とほめていただけることもあるのですが、秘密の技術を隠しているのではと疑いをもたれることも多々ありました。

それでもへこたれずに、なんとか他の人々にわかってもらおうと頑張った結果が、広く読んでいただいた、日刊工業新聞社から上梓した適正在庫四部作の成功であると思っています。ただ、それでもまだ十分ではないかもしれないと感じることもあります。というのは、私の本を何度読み返してもわからなかったことが、セミナーに参加して直接相対しての説明を聞くことで、初めて分かったという受講者の喜びの声を聞くことが多くあるからです。

さて、昨今では、セクハラ問題が政治界方面などを巻き込み、巷をにぎわせています。身体接触によるセクハラは言語同断に犯罪行為ですが、言葉によるセクハラは女性の受け止め方次第で犯罪が成立するという、男性にとっては恐ろしい時代になっているようです。

最近、ある言葉のセクハラ事件が報じられた際には、ついに黙っていられずに、これは男女平等原則に反する人権問題であると感じて、周囲に「オレがもし言葉のセクハラで訴えられたら、最高裁まで上訴して徹底的に戦う。それでも敗訴したら国連人権委員会に提訴する」などとわめいて周囲の失笑をかっておりました。

ところが、親しくしているある女性のふとしたつぶやきでハッと気づいたことがあります。それは、女性から見て上司であったりお仕事先の方であったり指導をしていただいている方であったりすれば、上位に位置する(権力を持つ)男性からの言葉に対する自分の応答次第で、仕事からはずされたり、邪魔されたてしまうのでは、と思った瞬間にセクハラが成立するということでした。これを「大発見」と周囲の女性に披露したところ、「あぁ、やっぱりね〜。わかってないんじゃないかと思ってた」を大笑いされてしまいました。

そこで、男性からの言葉のセクハラ訴訟対策を編み出しました。それが、憲法第九条方式宣言です。つまり、「私の言葉に対していかなる応答をしても、それを理由に自分の力の行使はしません」と宣言することです。ところが、これに対しても「そんなあたりまえのことをわざわざ言葉にするなんて、かえって怪しい」と即座に却下されてしまいました。権力を持っていれば持っている人ほど、言葉にしてはなないことへの気づきが必要なのです。

 

【相手に不安をあたえない配慮】

 

在庫の起源は農耕生活が始まった頃までさかのぼり、お米や麦などの穀物の備蓄在庫がその起源です。したがって、在庫そのものは人々から飢えへの不安を取り除く善きものでした。というのが適正在庫の基本姿勢ですが、在庫過多になってしまうとキャッシュフローを圧迫して悪者になることもあるので、適正在庫の数を知ることが重要である。と考えていたのですが、在庫過多の弊害の核心は

「不安」であることに気づきました。つまり、在庫は多すぎても少なすぎても不安を生じさせるので、不安を覚えない適正在庫を知ることが大切であるという認識が、現時点における到達点です。セクハラ話題からとんでもないところまできてしまいましたが、「相手に不安を与えない配慮」というのが、最近の私のマイブームになっております。

最近の適正在庫理論研究の対象は、モノの在庫だけでなく、フロー&ストック・モデルで捉えられるもの・ことすべてを「在庫現象」と呼ぶことで、お金やエネルギーにまで拡大しています。この中で、お金の流れに注目すると、過剰在庫の弊害は、まさに「不安」であることに、多くの方に同意していただけると思います。もちろん過小在庫が生活不安を呼び起こすことにはかわりはありませんが・・・。

というわけで、純粋な理論研究としての適正在庫理論は、金融資産の過剰在庫に悩む方々の不安を煽っていたのかもしれないと反省しました。これもセクハラと同じく、他者に不安をあたえない配慮が重要なわけです。

 

【生物的多様性の適正値研究へ】

 

大阪大地震直後の「次は東京」説に不安を煽られた私は、身近な方々の間に一騒動起こしてしまい、「オオカミ少年」認定が確定してしまいました(笑)。それは、言語化不能な脳内メカニズムにより知ってしまった(?)直近の地震発生推定時刻を示し、この時間だけでいいから地震に備えてくれ〜と、周囲につぶやいてしまった事件です。

気象庁の時間帯別降雨確率情報に時間帯別地震発生確率予報を加えるというアイデアがひらめきました。現実に社会的な有用性が実証された可能性がありますが、当該当時間には何事も起こりませんでした。結果的によかったのではありますが、近所の居酒屋を中心にお詫びをしてまわりました。そして、「へんなおじさんも1人くらいは必要ね」という居酒屋さんのママさんの言葉から、またまたひらめいてしまい、適正在庫算出技術を生物的多様性度合の適正値算出技術に拡張する研究に取り組み始めている、今日この頃です。

第24回(通算82回)バランスとアンバランスの構造

 

【バランスとアンバランスの構造】

 

私は大学の専攻が経営工学でしたので、理工学部なのに会計学や経済学が必修単位で、試験前の一夜漬け勉強で苦労した覚えがあります。特に支払や受取を勘定科目に振り分ける仕分けのルールを暗記するのに必死で、訳も分からずにひたすら覚える作業が苦痛でした。当時は、この学問の必要性・重要性を正しく理解していなかったのだなぁと、今になって反省ひとしきりです。というのは、人生60年を経て、この「貸方と借方」という考え方の素晴らしさに気づいてしまったのです。

老若を問わず、理知的な人ほど相手との貸し借り勘定に敏感であることに気づかされます。この場合の貸し借りは、会計計算上の金銭の貸借だけに収まることはむしろまれで、困ったときに助けられたご恩を大きな借りと自覚してきっちり恩返しをする行動や、その反対に仕返しをするような行動を含みます。待たせたり待たされたりの時間の貸し借りも日常的に自覚されることです。そして、お金とお金、行為と行為、時間と時間・・・というように、同じ単位同士での貸し借りになる単純なケースは多くありません。

このように、複雑な計算となる場合が多い「貸し借りというコミュニケーション」を、人間というのは大した能力をもっているもので、日々無意識のうちに行っています。これができない方、あるいはその量的尺度が他者と大きく隔たる方が、いろいろコンフリクションを起こしている様子も観測されます。

大切なのは、貸しと借りのバランスを保つことです。一時的、あるいは部分的にバランスが崩れることがあっても、長期的大域的に帳尻を合わせる努力を怠らないことは、世の中を渡っていくための重要事項です。そして、このバランスを常に保つための計算技術のエッセンスが、会計学にあったのでした。

こんなことにふと気づいた頃、先日招かれた結婚披露宴で同じテーブルについて歓談した方が、高校卒業後半世紀以上経理のお仕事をされてきたことがわかり、以上のお話しをしたところ、「会計・経理をやってきて、一番大事な事として言えるのは、まさにそのことなのです」とおっしゃられるのです。経理計算なんてものは、今はパソコンがやってくれるから楽な作業になったけど、貸方と借方に分けてものごとを見て、かつそのバランスを考えるということに気づくことが大切なのだということでした。

 

 

【バランスの測定単位は時間】

 

金銭の貸し借りという視点の技術はすでに確立されているようですが、時間視点についてはどうでしょうか。貸し借りというより、取引、あるいはもっと広くお付き合いやコミュニケーションという視点で見てみましょう。

今、私はこの原稿を書いていますが、そのために費やした何時間かの時間を皆様にご提供していると言えます。一方、読者の皆様は原稿を読むために一定のお時間を割いていただいています。双方が互いに相手に提供する時間には、それぞれが書いたり読んだりできるようになるために、受けた教育訓練や経験なども、実際の投入時間の積分値に係数を掛けるような計算を経て含まれるべきでしょう。さらに、この原稿を編集し印刷・製本しお届けする方々の費やした時間も同様に投入されています。そして、原稿を書く人は1人ですが、読む人は複数であるという点も重要なファクターとなります。

宅配便を送るときは、お届け日時を指定することが多いと思いますが、事前連絡をした場合でも再配達となった場合でも、配達業者の方と何時から何時までの間は待っている、というようなお約束をして自宅で待機します。これも、ものを送るというアクションと、受け取るために待機するという行為同士の取引ないしは貸し借りということになります。一方で、マッサージやコンサルティングといった人的サービスも、施術や指導を受ける側もサービス提供者と同じ長さの時間を相手方に提供していることになります。

営業電話がくると不快になるのは、相手の目的が売り込みであることが判明するまでの会話時間を奪われているという感覚があるからです。「時間どろぼう」という言い方のできる行為も多く経験するところです。以上のように、時間のやりとりという視点で振り返ると、金銭のやりとりという視点だけでは把握できない貸し借り関係が世の中にはたくさんあることが分かります。

やりとりや取引には、モノのやりとりや気持ちのやりとりなど、様々な形態がありますが、その貸し借りのバランスを保つための測定単位をそろえるとしたら、時間ではないかと思います。時間というのは、万人にほぼ平等に与えられており、生涯時間すなわち寿命という見方をすると、時間は生命量そのものであると考えられるからです。以前述べた生命通貨という発想もこのあたりから来ております。

 

【局所的なアンバランス】

 

貸し借りにおいてはバランスを保つことが大切なわけですが、動的なとらえ方をしないと、世界には活力が失われ生命が終息するように思えます。流れを止めない適正在庫理論の数理的な考察によれば、完全なバランス状態というのは流れの無い状態、すなわち死を意味しています。時空間内の局所的偏在、すなわちアンバランスが必要になるからです。そして、その局所的アンバランスの適正量を計算する技術が、流れを止めない適正在庫算出技術から続々と派生して、誕生しつつあります。

このあたりのお話も、次回以降の本連載でご紹介しながら、みなさんにもこの研究にご参加いただけないかと思っています。

第23回(通算81回)「ハイブリッド・コミュニティ」の創造とその価値

【モノからサービスへの流れの先にくるもの】

私は、読者の皆さんと同じく、工場におけるモノづくりを通じて多くを学びました。若い頃は、日本のモノづくり技術は世界一と言われ、海外からその技術を学びに来られる方々が大勢いらっしゃいました。私自身も職場で、外国の大学からのインターン学生の指導係を何人も務めたことがあります。

その後、時代の変遷があり、経済活動の主体がモノからソフト・サービスへと移っていく様子を、まさにリアルタイムで体験してきました。

最近は、「デジタライゼーション」や「サブスクリプション・マーケティング」という言葉に示されるように、情報やサービス自体が価値を持っているのであって、モノ自体は単なるハコに過ぎないとでもいうような風潮を感じますが、私自身は「でも、やっぱりお仕事として大切なのはモノづくりで、これが基本でしょ」と思っています。きちんとつくられたモノの在庫は、安心のよすがとなるからです。

一方、毎日の生活者としての視点で振り返ると、安心というのは人との関わりにおいて意識される気持ちではないかということに気づきます。そう考えていくと、モノに始まり、ソフト・サービスへと形態を変え、さらにその先に求められるのは何かと考えると、「コミュニティ創造」という言葉が浮かび上がってきました。

【「ハイブリッド・コミュニティ」とは】

いちばん身近なコミュニティは、家族や地域社会ではないかと思います。1人の人が生まれ育っていくベースとなる場であり、生活の基盤となる、血縁・地縁で物理的なつながりの確保されたコミュニティですので、これを「リアル・コミュニティ」と呼ぶことにします。そして、このリアル・コミュニティの集合離散により拡大されて、国家や国際社会が形成されているという見方ができます。

昨今、近年発達のICTにより、人類がこれまで経験しなかったタイプのコミュニティが誕生しつつあります。SNSに代表されるインターネットつながりのコミュニティです。以前話題となった仮想空間を舞台とするセカンドライフなど、広義にはソーシャルゲームと分類されるもので、ポケモンもその仲間ではないかと思います。これらは、物理的・身体的な接触を伴わない点において、「ヴァーチャル・コミュニティ」と呼んでいいのではないかと思います。最近は、ヴァーチャルな仮想空間に逃避する方が増えているように思います。

なぜ、ここに逃避するのかというと、ここにはある種の自由が存在するからです。いろいろな自由の内、最たるものが、出入りの自由です。血縁・地縁、さらには法律・契約で縛られているリアル・コミュニティは生まれた場所で決まってしまい、そもそも自分の自由意思で入っているわけではないこともあります。また、いったん入ってしまうと簡単には抜け出ることが困難であることが多く、そのことから、生き辛さや閉塞感に苛まれる人々も多く存在します。それに対して、ヴァーチャル・コミュニティは、自分で選んで入り、嫌になったらいつでも抜けることができます。

生活の基盤となる確かさはあるけれど息苦しさもあるリアル・コミュニティと、自由だけどふわふわしているヴァーチャル・コミュニティのいいとこ取りができないものかと考えて、生まれたアイデアが「ハイブリッド・コミュニティ」です。

トヨタのプリウスに代表されるように、ハイブリッド技術は日本のお家芸ではないかと思います。中世の仏教伝来や近代の西洋文明を吸収しての独自文化の創出も同様です。

では、具体的に「ハイブリッド・コミュニティ」とはどんなものでしょうか。それは、生活基盤としての経済活動が、それぞれのコミュニティ内で循環し継続可能なローカル経済を実現します。また、複数のコミュニティが、同一空間内に多重化されて存在させることを可能にする、精密な情報コントロールを実現することができます。

このうち、ローカル経済実現のキーアイテムが、先月号に示した未来のスマートウォッチというわけです。

【ソサエティとコミュニティの違い】

ハイブリッド・コミュニティという発想は、もともとは、現政権および経団連のすすめる国家戦略「 society5.0」 に触発されて生まれたものですが、society(ソサエティ)とcommunity(コミュニティ)の違いは何だろうと疑問に思い、英国のロースクール留学から最近帰国されてNGO関係のフリーランス業務をされている友人 に相談したら、次の回答をいただきました。
「既存の制度的背景を考えると、構成人数という数の包含関係ではありませんが、多くの場合、包含関係にあるのが現状です。あくまで私の考えですが、 私はコミュニティは価値観/文化的背景/目的/場所を共有しているもので、ソサエティ はむしろもっと社会的な基盤/関係を構造的に共有しているものだと感じています。すべての人がこのフレームで使い分けをしているわけではありませんが、少なくとも、国連の文書はこの感覚で使い分けられています」。

これを聞いて、社会の中に多重化されて複数存在するハイブリッド・コミュニティ間での暮らしやすさ競争を促すことが、よりよき社会を創造する戦略になる可能性があるのだと意を強くしました。日本発の技術が世界をカイゼンできると考えるとうれしくなります。また、どちらの言葉も英語であり、外来文化の所産であることに気づきました。

であるならば、日本発のハイブリッド・コミュニティには、もっとふさわしい呼び名が必要ではないかと思います。読者のみなさまも、一緒に考えてみていただけないでしょうか。

第22回(通算80回)仮想通貨の信用失墜とその未来

【仮想通貨の信用失墜】

連載の内容を考えていた春分の日に「リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表した」というニュースが流れてきました。2018年に入り、仮想通貨が大きな話題になったので、本号ではこの仮想通貨について考えたことや感じていることについて述べたいと思います。

最初はその可能性に期待を寄せられていた仮想通貨ですが、度重なる不祥事によって、ついに通貨としての信用を失ってしまい、とうとう、リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表するにいたりました。20カ国の国々が結束して規制に乗り出すことになったわけです。

ビットコインにしても最近大問題を引き起こしたNEMにしても、仮想通貨という名称で呼ばれ、通貨の一種という扱いを受けていますが、これはちょっと違うんじゃないかな、と常々、私は思っていました。G20の声明においては、仮想通貨ではなく暗号資産という言い方をしていたそうです。

一般的に仮想通貨は、よく言えば金融商品ですが、その実態はギャンブル商品に限りなく近いものになってしまったのかもしれません。ただ、ビットコインは、当初は海外送金目的で中国の方々がよく使っていたそうですので、最初からギャンブル商品の側面だけを持っていたわけではないようです。

とりあえず、通貨の機能を有するものは法定でも仮想でも暗号でも、すべて“通貨”と呼ぶことは許容することにして、通貨にとって何が最も大切かというと、それが信用なのです。その信用の核をなすのが、価値の維持ということだと私は考えました。だから、各国の中央銀行は過度のインフレやデフレを警戒するのです。

 

【法定通貨も仮想通貨の側面を持つ】

そのように考えると、為替レートが変動する法定通貨も、信用失墜が進行中の仮想通貨の一種と言えるのかもしれません。皆で協力し、汗水垂らして一生懸命実現したコスト削減の成果が、わずかな為替変動で一瞬にして吹っ飛んでしまうというのは、誰が考えても異常なことです。

一方で、仮想通貨は値上がり期待の投機対象として、市場で売買されることで価格が変動するわけですから、需要と供給で価格=価値が変動する通貨ということになります。ビットコインは総発行枚数が決まっているということなので、まさに値上がり期待で売買される投機対象ということになります。

最近、流出問題を起こしたNEMについては、問題が異なるように思います。価格変動による信用失墜ではなく、流 出による価値蒸発ということになるからです。大昔の金貨や銀貨のように、形があり重さのある通貨では起こらない現象です。

この場合、流出先に価値が移動しただけならば、また別の問題となりますが、いずれにしても電気信号あるいは磁気信号としての情報自体に価値を担わせる形態の通貨が逃れることのできない、こちらも信用不安問題です。

どちらかと言いますと、ブロックチェーン技術を使った通貨の実体がインターネット上を流れ続けるデータセットであると考えると、その流れが止まる危険性は常にあります。なぜなら、ブロックチェーンというのは、地球上に張り巡らされたネットワークの中を、1秒間に地球を7回り半するスピードで流れ続けるデータセットたる情報パケットに、各地で発生した取引データを次々に追加書き込みしていくところから始まるという理解ができるからです。すると、ネットワーク配線の物理的な断線・分断だけでなく、電力供給が途絶えることにより、情報パケットの流れが止まることで、情報が消失してしまう危険性があるからことに気づきます。これは恐ろしいことですよね。

【フェリカを開発したソニーへの期待】

日本でも、最近は電子マネー支払いが急速に拡大していますが、SuicaやEdyなど以前からある電子マネーと、〇△Payと呼ばれるものとの最も大きな違いは何かご存知でしょうか。

それは、スマホのバッテリーが切れていても使えるかどうかの違いです。バッテリーが切れたら使えないお金じゃ不安になりますよね。また、インターネット上のデータの流れが止まったら消えてしまうようなお金も不安です。SuicaやEdyは、カードやスマホにフェリカチップが情報をローカル保存している点において、価値蒸発の不安がない点で通貨としての優位性があるのです。

流れを止めない適正在庫理論の示すところでは、適正量の在庫がないと流れが止まってしまいます。通貨も、「情報をローカル保存する」ことは在庫があることにつながりますから、この手間をかけることで、「流れを止めないこと」を可能にし、信用を担保しているわけです。

SF的発想になりますが、もし世界一斉停電が長期間続いたときに、電源バックアップがなくなると消失してしまうような通貨だけで経済が運営されている状況を想像してみてください。人間は電気がなくても生きていけるし、商取引もするでしょう。でも、電気がなくなったら使えなくなる通貨しか世界になかったとしたら、経済活動がストップしてしまうことが理解できると思います。

また、たしか、フェリカはソニーの開発した技術で、そのソニーが最近スマートウォッチに積極的であることを知り、大いに期待しています。スマートウォッチは、民主的で分散型の民間通貨システムを実現するためのキーテクノロジーになりうるからです。

なぜなら、生体センサーを活用して未来の基軸通貨たる生命通貨のマネジメント機能に発展可能なことと、日本のお家芸である小型・軽量化技術により、先月号で適正在庫コミュニティとして触れた「ハイブリッド・コミュニティ*」内で通用するローカル通貨として、民間通貨間の利便性競走を、ハイブリッド・コミュニティ間の生きやすさ競走に発展させる可能性があるからです。この点については、次号移行でまた取り上げる予定です。

*家族や地域社会などの伝統的なリアル・コミュニティと、SNSなどに代表されるバーチャル・コミュニティの中間に位置するコミュニティ

 

第21回(通算79回)恵方巻と、食の安心コミュニティ

 

【コンビニでのバイトが在庫管理の原点】

 

私の発行しているメルマガ『週刊適正在庫の視点から』でコラム欄を担当している尾関優歩さんから、本掲載への応答として、「肉まんは、分け合って食べるとおいしい」というメッセージをいただきました。

 

このメッセージから、食の安心コミュニティという着想が起こりました。食べる人だけでなく、畑を耕す人、漁をする人、牛を育てる人、運ぶ人・・・そして料理する人、という人々のつながりの中での食をとらえるべきだという発想です。

そんな折、「恵方巻きにみる食品廃棄ロス問題」を解説をして下さいと依頼されましたので、昨年まで、経産省・国家プロジェクトの有識者委員として食品廃棄ロスを削減する活動を3年ほど行っていた経験を踏まえて、この問題を考えてみたいと思います。

 

この場合、廃棄ロスを極力少なくするためには、適正在庫を計算して、その値に基づいて生産計画を立てればよいというシンプルな結論になってしまうのですが、わかっていてもなかなか思い通りにいかないというのが世の常なので、そのあたりを地頭アプローチで攻めていこうと思います。

恵方巻きの大量廃棄問題は、コンビニが恵方巻きキャンペーンを始める様になった10年位前からということです。なので、まずは私とコンビニとのかかわりから話を始めたいと思います。

 

もう40年以上昔になりますが、大学生時代に、安下宿の近くにできたばかりの、セブンイレブンでバイトをしていました。冷蔵庫への飲料の補充係を担当していたのですが、思うに、在庫管理とのかかわりは、このバイト経験が最初といえるかもしれません。完全防寒装備で冷蔵庫の中に入って、補充陳列作業をするのですが、1回の入室作業が終わると眉には霜がつもり、手はかじかんでしまい、しばらくは動けなくなります。そのため、いかに最適なタイミングで補充作業を行うかという、在庫管理問題とスケジューリング問題を複合したようなことに頭を使っておりました。

 

待機時間にはバックヤードで店長さんから、いろいろなお話を聞いたりして、とても良い人生勉強になりました。お若い店長さんでしたが、深夜にコンビニにたむろする若者からも慕われる立派な方でした。その後、コンビニやスーパーの店員さんや店長さんたちとすぐに仲良くなることが多かったのは、この時の経験が活きているのかもしれません。

 

 

【恵方巻き問題の現場確認】

 

こんなわけで、いつも仲良くしているコンビニ・スーパーの店長さん3人に早速、お話を聞きに行ったところ、今年の恵方巻きは大量に廃棄をしなくて済んだのですよという答えが返って来ました。ローソンさんとは、先の経産国家プロジェクトで仲良しになり、お互い本社が近いこともあってランチ会などもやっていた関係でした。

 

その店長さんが開口一番、「廃棄はゼロでした。欠品の苦情もありませんでした」と胸を張っていうのです。新店舗なのでほかのコンビニの動向やこれまでの経緯は分からないということでしたが、自店の仕入れ数は見事に的中したようです。業界情報としては、今年はスーパーが生産量を絞り込んだので、大量廃棄はなかったということでした。

 

スーパーの動向も知りたく、いつもタイムセールのお惣菜を酒の肴に買って、お世話になっている地元スーパーを訪ねたところ、店長さんは、いつもは値引きタイムセールがうまく働いて、食品廃棄ロスはないのだけれど、今年の恵方巻きはちょっとだけ捨てちゃいましたと残念そうにしていました。ただ、その数を聞いたところ、本当にわずかでしたので、誤差範囲と認定できます。食べ物を捨てるのはよくないことだという意識が徹底していて、それでタイムセールをきちんとされていたわけでしたし、このお店は、バックヤードで調理をするので、製造販売一体運営でも在庫ゼロにはならない事例といえます。 次に訪れたのは一番馴染みのセブンイレブンですが、ここも今年は廃棄ゼロで済んだということでした。

 

つまり、恵方巻きの食品大量廃棄問題は、実は今年に限っては存在しなかったようです。ただ、私の身近な事例に限られますので、本当に今年は恵方巻きの大量廃棄がなかったのかというと、断定はできませんので、直接相対してのお話内容と、店内現場の印象から判断したところを以下に述べたいと思います。

【大事なのは信頼できるコミュニティづくり】

 

3店舗に共通するのは、店長さんも店員さんも皆がお客様に良質の食べ物を安心して食べてもらいたいという気持ちを持っていることでした。最後の事例のセブンイレブンの店長さんは、自らの身体で、20Kgのダイエットを宣言し、その過程を公開し、見事に達成したのですが、自分のお店のお弁当を毎日2回食べたうえでの、ダイエットだったというのがすごいです。昔の姿を知っていましたので、確かにスッキリしたことが確認できました。

 

成功の決め手は商品すべてにカロリー表示があることで、1日1,500キロカロリーにコントロールできたのはこのおかげだということでした。セブンイレブンは食品などの添加物を極力排除することに努めているので安心だよ!ということを、自らの身体を使ってお客様に示してくれたと言えます。

 

このように、恵方巻の廃棄ロスをなくすには、食の安心を目指すコミュニティを選択できるシステムをつくるというのが、私の回答となります。さらに、欠品粗利保証とか、3分の1ルールとか、返品商慣習などといったサプライチェーン体制に起因する問題には、適正在庫コミュニティづくりという構想があります。これらのコミュニティ構想については、そのキーテクとなる民間通貨との関連で、後ほど紹介したいと思います。