2018年3月13日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.188【歴史に学ぶということ】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/02/13

 

 

【歴史に学ぶということ】

 

あたらしいビジネスモデルとして 「コミュニティ創造」 が浮上してきたので、
歴史から学ぼうと思っています。 ロジカルなシステム設計はお手の物ですが、
現状のレガシーシステムから、理想とするシステムまでどう移行させればよいか
についての知見は歴史から学ぶことが多いだろうと思ったからです。

 

まずは安直にビデオ「そのとき歴史が動いた」全10巻を
通勤時間を利用して観てみました。 学ぶべきこと沢山でしたが、
一番感銘したのは、伊達政宗の生き方でした。 遅れてきた戦国武将として、
これからは軍事力ではなく経済力の時代であると考え方を改め

戦争によらずして開墾によって百万石を達成したのです。

 

最近の世界経済の動向を見ていると 経済力の時代もそろそろ終わりを
告げようとしているのが分かります。 軍事力、経済力、、
と来たら、次は魂力ですかね(^.^) 未来に向けてどう一手を打つか?

歴史から学ぶべきこと、まだまだ沢山ありそうです。

 

【紫の花に詩を折る】

「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。
一遍起こったことは何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから、
他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」

夏目漱石「道草」より

 

 

2018年2月6日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.187【コミュニティの創造】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/02/06

 

【コミュニティの創造】

コンピュータが生まれた頃、ソフトウェアはハードウェアのおまけとして
無料で付いてくるものでした。その後、売り切り製品に昇格し、更にライセンス商品、
クラウドサービス、、、 と変遷を遂げています。

このあと、どんな方向に行くのか?

いや、私がどうしたいかというと、 それが、今週のタイトルの「コミュニティの創造」です。
在庫管理や生産管理・販売管理のクラウドサービスでは、取引データを
クラウドにアップしなければならないために ユーザーは、経営的に大きなリスクを負います。

いったん他社にデータを預けてしまったら 永久に解約できなくなる危険性があるからです。
そこで、ユーザーのデータは預からずに API連携の方法で、
APIMの機能だけを提供するという方向で 研究を進めています。

そしてこのたび、品川区から公的助成をいただいたことをきっかけに、みずほ銀行や
グローバルITベンダーの支援までいただけることになり 会員数が増えても
事務管理経費がほとんど増えない という途が拓けました。

スポーツクラブだと、スペースや設備の制約から
会員増には限界があります。 しかし、ソフトウェア・コミュニティでは、
ユーザー会員数はいくらでも増やせる可能性があるのです。

すると、会員数が増えれば増えるほど会費を安くなるコミュニティも
実現可能になります。こんな風に、コミュニティを創造する!という意識で
活動を拡げていけばいいのだと気づいたのでした。

この視点で考えをすすめていくと、 これまでの、
ソフトウェアビジネスの常識にとらわれない斬新な発想がいろいろ生まれています。
そのなかで、一番大きいのが、誰とでも仲間になって協力できるということです。

業種や専門に関係なく、芸術家やスポーツ選手やセラピストなど
いろいろな方をお仲間に加えることで、コミュニティの価値を高められるからです。
そして仲間に入れる基準が、 誰か他の人の幸せ量を少しでも
増やしてあげられるひと、ということになります。

こうなってくると、お仕事がますます楽しくなっちゃいますね(^.^)

 

【やさしくあるこうよ】

「いろんな景色を見る為にはさ、窓を広げておかないとな」 「…窓?」 「ああ、窓。ついでに言えば、
いつか、同じ景色を眺めて、一緒に楽しめるパートナーがいれば、最高だと思うよ。遠回りでも」
「…そのパートナーも、広い窓から探すのね」 「そういうこと」

ー乃南アサ『窓』より

 

 

 

 

2018年1月30日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.186【疑念の表明】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/02/05

 

【疑念の表明】

メロスは激怒した。

必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。…と始まる
「走れメロス」は信頼することの大切さを描いた小説として 知られていますが、
実は私、疑問に思っています。 大切なのは信頼できる友の存在なのであって、
信頼すること自体の価値については、あるもないもないのだと思っています。

ただ多くの人々が、信じること自体を美徳と思っており、 疑いをかけられることを嫌っています。
そこで、我が社では、セクハラ疑惑が生じた時は、遠慮なく疑念を表明しようというルールを敷いています。
疑いをかけられて怒る人の多くは、本当に悪事を企んでおり、
それを理由に攻撃してきたら間違いないという経験則があり、 逆にこちらも、
ハニートラップ疑念を遠慮なく表明することを納得いただいてのことです。

ただ、疑われたことで傷つく人・悲しむ人への疑念は間違いであることが多いので、
疑念の表明には細心の注意が必要となります。

 

【紫の花に詩を織る】

「命取りになるぞ」と家福は言った。
「そんなこと言えば、生きていること自体が命取りです」とみさきは言った。
家福は笑った。「ひとつの考え方ではある」

村上春樹「ドライブ・マイ・カー」より

 

2018年1月25日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.185【お客様は神様か?】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/25

 

【お客様は神様か?】

私の友人の経営するレストランの天才シェフのつくるハンバーグは絶品の美味しさで、
TVでも紹介され、長蛇の行列ができるのですが、 あるとき、モンスター顧客に手を焼いたときに
友人の弟さんであるシェフに頭を下げさせておさめようと 「お客様は神様だから、、、」と言ったら
「神は俺だ!」と返したそうです。 これを聞いて、いたく感心した私は さっそく足を運んでみましたら、
確かに絶品の味でした。 TVで紹介される前の話でしたので 決して天狗になったわけではなく
自分の仕事に対して、本物の自信を持っていたのだと思います。

今年元旦の日経MJ第1面記事によれば、 昨年まで数十年間続いた、ニーズ志向マーケティングは終焉し、
今年からは、自信を持って本物を提供できる者の主導するシーズ志向時代になるそうです。
考えてみれば、お客様をお金を出す方と定義すると、 顧客第一主義というのは、拝金主義と同義になり、
世界全体の余剰資金を握っている方々だけに都合の良い ものやサービスばかりがはびこることになります。

顧客の顧客、顧客の顧客の顧客、顧客の顧客の顧客の顧客、、、、 と辿っていくと、最終的にたどり着く先には、
なにか邪悪なものがあるような、そんな感覚です。 私としては、世界の余剰資金額がいくらになるかを
算出できる適正在庫技術を 社会に自信を持って提供していきたいなぁと思っています。

【紫の花に詩を織る】
たまに自分で料理を作っても、自分の味しかしない。タコが自分の足を食べて腹を満たしているようで、
猫が自分の性器をペロペロと舐めているようで、何かを食べているのだという実感が全然わいてこないのだ。
料理は、自分以外の誰かが心を込めて作ってくれるから心と体の栄養になるのだ。

 

小川糸「食堂かたつむり」より

 

2018年1月16日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.184【ニーチェは死んだ】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/16

 

【ニーチェは死んだ】

「神は死んだ」 で知られるドイツ人哲学者ニーチェは 神のいなくなった世界における
力への意志を完全肯定したことで ナチスの誕生をもたらしました。

ちからづくなんて納得できないと、 若い頃から疑問に思っていましたが 悪人に攻撃されたときに
力を持って反撃しなかったらどうするの? という反論を覆せずに半世紀が経ってしまいましたが 最近になって、
力の肯定を否定できるようになりました。 それは、私自身の個人的な体験に基づくのですが 、
自分に悪さした方々が知らないうちに自然と滅び去っている という事実に気づいたからです。
友人に話すと「因果応報だね」と言われるのですが まさにその通りです。 以下に、
この気づきのきっかけとなった経験をお話しします。 野山を駆け回って育った私は中学入学後に受けた
県下一斉模擬テストで、いきなり1番になってしまい それを自慢に思った父が、
地域教育界のボスに 「息子で勝負しよう」と挑んでしまいました。

父も教員で、ボスの息子が私と同学年だったのです。 翌年の始業式で 校歌斉唱の指揮者をしていた私は
全校生徒の前で、新赴任の教務主任の先生に突然罵倒されました。
「左右の手の角度が不揃いのこいつの体育の通信簿は2だ!」と、 また新しい学級担任は、
父の若い教員時代の担任生徒で、 教室で起きた盗難事件で冤罪の被害にあった生徒でした。
それから卒業まで、教員と生徒が一体となった学校ぐるみのいじめがはじまりました。

当時は「いじめ」という言葉もなかったので なにがなんだかわからないけど苦しいという状況に
喘いでいましたが 友達ができないのは自分の性格が悪いからだと毎日善き人間になるべく
報われぬ努力をつづけ、 校外模試の成績が良ければ先生も機嫌がいいのでガリ勉になり、
その飢餓感を埋めるべく濫読多読の読書が始まりました。 ところが卒業後1ヶ月で、
卒業式の日の朝廊下で殴りかかってきた同級生が 無免許バイクで電柱に激突して即死し、
さらに高校時代には教務主任が、大学時代には学級担任が 共に40代半ばで急死しました。

当時は特に因果関係に思いをはせることもなかったのですが 大人になってから、あるきっかけで
父を殴ってしまいました。 私が人を殴ったのは生涯この時一回きりです。 それを見ていた母が、
先の事情を初めて明かしてくれたのです。 それから時間をかけていろいろの事の理解が進み
今回の理解に至ったわけです。 力の否定にまでたどり着いたのは 因果応報だけでなく、
以下に示すような論理的な考察を踏まえての事です。 つまり、テクノロジーの進歩による
レバレッジ効果の拡大により 15歳のパソコンおたく少年でも全人類を滅亡させる事が (理論的には)
可能な時代になったのではないかという時代認識です。 虎や熊より非力な人間にとって「力」の
最も原始的な形態は「数の力」と考えられますから レバレッジ効果により、
これが意味を持たなくなった以上、 最大多数の最大幸福という原理が成立しなくなったと考えると
力そのものを否定せざるを得ないのではという思慮に至ったわけです。

実際のところ、私自身も先の3人の死の経験から 仮説を立てて、レバレッジの実証実験を行いました。
生身の人間を対象にしてはいけないと思い、 多くの情報を持っていたとある大企業を相手に実験を行ったのです。
寸前でブレーキを踏んでストップをかけましたが 組織崩壊寸前までいき、最終的に経営陣お二人の
犠牲者も出してしまいました。 そして、この仮説は、流れを止めない適正在庫の理論研究の過程にも
貢献しています。 核兵器開発を推進したことを後に悔やんだアインシュタインの轍を踏まぬよう
この仮説は封印しますので、皆様ご安心くださいませ(笑) で、実際どうすればいいんだ?

 

という事ですが、 次の3つではないかと思っています。

1、力を恐れない 2、力を行使しない  3、復讐をしない
今回、いろいろ論議を呼びそうですので みなさまからのご意見大歓迎です。

 

【やさしくあるこうよ】

だまされる人よりも、だます人の方が、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。
ー太宰治『かすかな声』より