2018年1月25日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.185【お客様は神様か?】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/25

 

【お客様は神様か?】

私の友人の経営するレストランの天才シェフのつくるハンバーグは絶品の美味しさで、
TVでも紹介され、長蛇の行列ができるのですが、 あるとき、モンスター顧客に手を焼いたときに
友人の弟さんであるシェフに頭を下げさせておさめようと 「お客様は神様だから、、、」と言ったら
「神は俺だ!」と返したそうです。 これを聞いて、いたく感心した私は さっそく足を運んでみましたら、
確かに絶品の味でした。 TVで紹介される前の話でしたので 決して天狗になったわけではなく
自分の仕事に対して、本物の自信を持っていたのだと思います。

今年元旦の日経MJ第1面記事によれば、 昨年まで数十年間続いた、ニーズ志向マーケティングは終焉し、
今年からは、自信を持って本物を提供できる者の主導するシーズ志向時代になるそうです。
考えてみれば、お客様をお金を出す方と定義すると、 顧客第一主義というのは、拝金主義と同義になり、
世界全体の余剰資金を握っている方々だけに都合の良い ものやサービスばかりがはびこることになります。

顧客の顧客、顧客の顧客の顧客、顧客の顧客の顧客の顧客、、、、 と辿っていくと、最終的にたどり着く先には、
なにか邪悪なものがあるような、そんな感覚です。 私としては、世界の余剰資金額がいくらになるかを
算出できる適正在庫技術を 社会に自信を持って提供していきたいなぁと思っています。

【紫の花に詩を織る】
たまに自分で料理を作っても、自分の味しかしない。タコが自分の足を食べて腹を満たしているようで、
猫が自分の性器をペロペロと舐めているようで、何かを食べているのだという実感が全然わいてこないのだ。
料理は、自分以外の誰かが心を込めて作ってくれるから心と体の栄養になるのだ。

 

小川糸「食堂かたつむり」より

 

2018年1月16日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.184【ニーチェは死んだ】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/16

 

【ニーチェは死んだ】

「神は死んだ」 で知られるドイツ人哲学者ニーチェは 神のいなくなった世界における
力への意志を完全肯定したことで ナチスの誕生をもたらしました。

ちからづくなんて納得できないと、 若い頃から疑問に思っていましたが 悪人に攻撃されたときに
力を持って反撃しなかったらどうするの? という反論を覆せずに半世紀が経ってしまいましたが 最近になって、
力の肯定を否定できるようになりました。 それは、私自身の個人的な体験に基づくのですが 、
自分に悪さした方々が知らないうちに自然と滅び去っている という事実に気づいたからです。
友人に話すと「因果応報だね」と言われるのですが まさにその通りです。 以下に、
この気づきのきっかけとなった経験をお話しします。 野山を駆け回って育った私は中学入学後に受けた
県下一斉模擬テストで、いきなり1番になってしまい それを自慢に思った父が、
地域教育界のボスに 「息子で勝負しよう」と挑んでしまいました。

父も教員で、ボスの息子が私と同学年だったのです。 翌年の始業式で 校歌斉唱の指揮者をしていた私は
全校生徒の前で、新赴任の教務主任の先生に突然罵倒されました。
「左右の手の角度が不揃いのこいつの体育の通信簿は2だ!」と、 また新しい学級担任は、
父の若い教員時代の担任生徒で、 教室で起きた盗難事件で冤罪の被害にあった生徒でした。
それから卒業まで、教員と生徒が一体となった学校ぐるみのいじめがはじまりました。

当時は「いじめ」という言葉もなかったので なにがなんだかわからないけど苦しいという状況に
喘いでいましたが 友達ができないのは自分の性格が悪いからだと毎日善き人間になるべく
報われぬ努力をつづけ、 校外模試の成績が良ければ先生も機嫌がいいのでガリ勉になり、
その飢餓感を埋めるべく濫読多読の読書が始まりました。 ところが卒業後1ヶ月で、
卒業式の日の朝廊下で殴りかかってきた同級生が 無免許バイクで電柱に激突して即死し、
さらに高校時代には教務主任が、大学時代には学級担任が 共に40代半ばで急死しました。

当時は特に因果関係に思いをはせることもなかったのですが 大人になってから、あるきっかけで
父を殴ってしまいました。 私が人を殴ったのは生涯この時一回きりです。 それを見ていた母が、
先の事情を初めて明かしてくれたのです。 それから時間をかけていろいろの事の理解が進み
今回の理解に至ったわけです。 力の否定にまでたどり着いたのは 因果応報だけでなく、
以下に示すような論理的な考察を踏まえての事です。 つまり、テクノロジーの進歩による
レバレッジ効果の拡大により 15歳のパソコンおたく少年でも全人類を滅亡させる事が (理論的には)
可能な時代になったのではないかという時代認識です。 虎や熊より非力な人間にとって「力」の
最も原始的な形態は「数の力」と考えられますから レバレッジ効果により、
これが意味を持たなくなった以上、 最大多数の最大幸福という原理が成立しなくなったと考えると
力そのものを否定せざるを得ないのではという思慮に至ったわけです。

実際のところ、私自身も先の3人の死の経験から 仮説を立てて、レバレッジの実証実験を行いました。
生身の人間を対象にしてはいけないと思い、 多くの情報を持っていたとある大企業を相手に実験を行ったのです。
寸前でブレーキを踏んでストップをかけましたが 組織崩壊寸前までいき、最終的に経営陣お二人の
犠牲者も出してしまいました。 そして、この仮説は、流れを止めない適正在庫の理論研究の過程にも
貢献しています。 核兵器開発を推進したことを後に悔やんだアインシュタインの轍を踏まぬよう
この仮説は封印しますので、皆様ご安心くださいませ(笑) で、実際どうすればいいんだ?

 

という事ですが、 次の3つではないかと思っています。

1、力を恐れない 2、力を行使しない  3、復讐をしない
今回、いろいろ論議を呼びそうですので みなさまからのご意見大歓迎です。

 

【やさしくあるこうよ】

だまされる人よりも、だます人の方が、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。
ー太宰治『かすかな声』より

 

 

第19回(通算77回)何度でもやり直せるという安心

【時間の起源はオタク?】

 

パソコンはおろか、電気もなかった時代のオタクは何をやっていたのでしょうか。

 

きっと、空を見ていたのだと思います。太陽が朝昇り夕に沈み、また翌朝昇る。 月が満ちて欠ける。 季節の星座が繰り返し巡ってくる・・・。現代でも、こんなに面白いものはないですからね。

 

このことから、私は”時間”という概念は、オタクたちが生みだしたのだと思います。つまり、時間の起源は、日が昇って沈み、また昇って沈むという繰り返しに気づいた発見にあると考えるわけです。すると、時間とは過去から未来に向かって一直線に進んでいくのではなく、ぐるぐると回っていくものだということができます。

 

このような時間概念からの論理的帰結が、「なんどでもやり直せる」という事になります。今日がだめでも明日がある。今年はできなかったけど来年はきっとうまくいく。今生では結ばれなかったけど来世ではきっと・・・ と考えることで、生きることがずいぶん楽になります。

 

では、ものづくりの世界ではどう考えたらいいのでしょうか。品質不良や大幅な納期遅れを出してしまったら、顧客や市場そのものを失うことになりますから、やり直せばいいやとは思えませんね。しかも、手直しが多発するとコスト増を招く結果となりますし、納期遅れの原因にもなりますから、1発合格が理想ということになります。

しかし、脳科学の知見によれば、失敗してはいけないと強く思いすぎると、失敗率は上昇するのだそうです。なので、何事も「だめだったらやり直せばいいや」と考えられる余裕がある方が、結果的に成功率は高くなるわけです。

 

【生命は循環しながら続いていく】

顧客を失い、市場まで失ってしまったら、商品寿命は尽きることになります。つまり、生命が失われたというわけです。一つの商品だけでなく、会社全体の売上が止まったり、コスト増に追いつかない状態が長く続くと、経営が立ち行かなくなって、やがては倒産、つまり会社としての生命の終わりとなります。人の一生でも同様で、生きていれさえすれば何度でもチャレンジを繰り返すことができますが、命を失ってしまったらそこでお終いです。

 

ここまで、命の終わりという言い方をしてきましたが、生命とはそもそも何なのかを、この連載で考えたことがありました(2017年11月号参照)。その時再定義した生命とは、「循環しながら続いていくもの」というものでしたが、ここで先の循環時間とつながってきます。

親の個体が死んでも子供につながって続いていく、あるいは牛一頭の生命は途絶えても牛肉を食べて生命を維持する人間につながって続いていくというのが“循環”という言葉の意味するところですが、この循環と、日の出と日没の繰り返しを同じ事であると捉えるわけです。

すると、生命=時間という等式が成り立つことになるのではないかと思います。

【流れを止めない適正在庫】

時間、すなわち生命が続いていくことで生まれる流れをモノの流れとして捉えたとき、流れを途絶えさせないためには、要所要所に適正量の在庫を配置することが必要になります。さらに、これだけでなく流れを積極的に生み出すためにも、局所的な過不足を作り出すことが必要とされますが、これも各所の在庫配置バランスによって実現可能となります。マーケティングの基本は、局所的な過不足を人工的につくり出すことにあると言うこともできるわけです。つまり、3ヶ月後に15Kg減量に成功してスマートになった自分自身のイメージと現状の姿とのギャップを生み出すことで、減量サポートというサービスの売上増を狙うという訳です。こう考えて、テレビや雑誌に出てくるカッコイイ美男美女は、現実世界にはまれなマーケティングツールなんだと理解するとコンプレックスが和らぎませんか?(笑)

 

また、先述したようにやり直しが許されるという心の余裕は、不具合が出たときに後工程を止めない為の安全在庫を保有することで生まれます。また、工程能力も歩留まりも変動します。最終需要も増減するため、流れの速さは常に一定にはなりませんから、中間在庫を適正量保有することで工場の中に流れがつくることができます。工場の外に目を向けて、サプライチェーン全体で考えてもしかりです。

 

適正在庫という考え方は、「在庫は悪だ」に対するアンチテーゼとして示したのが始まりでした。在庫そのものが悪ではない、適正量管理ができないことこそが問題であると。そして、在庫の起源が農耕生産によって蓄えることができるようになった食料在庫であることから、在庫自体は安心のよすがとなる善なるものであるという主張をするようになって今日に至ります。

 

そして、最新の適正在庫の考え方は、流れを止めないために必要とされる最小限の在庫量であるというところまで進化しました。ここで、流れを止めないということの意味を深く考えると、やはり安心のよすがということに行き着くことに気がつきます。つまり、流れが止まらずに続いていくことで、何度でもやり直すことができるということが、安心を生み出すと考えられるからです。

 

太陽が夕に沈んでも、明日の朝には必ずまた日が昇るということ、つまり明日にまたやり直せるということが、一番の安心のよすがであり、その繰り返しを支える技術が、流れを止めない適正在庫の技術なのです。

 

新しい在庫理論が管理実務を変える

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/12

 

 

従来の在庫理論が使えない理由

–九十年代の中頃から日本企業にもi2テクノロジーズやマニュジスティックスなどの需要予測エンジン(APS:Advanced Planning and ScheduLing)が普及し始めています。本来、需要が予測できれば、在庫はなくなるはずです。

「ソフトウェアベンダーの売り文句を真に受けて誤解している方が少なくないようですが、基本的に需要は予測できません。それが在庫管理の前提です。確かに理屈としては予測が100%当たれば在庫はゼロになる。そんな発想から、販売計画に対する達成率で営業部門を評価するという取り組みも一部では見られますが、そんなことをすれば営業部門は縮小均衡に陥ってしまう。逆に予測がどれだけ当たらないかを予測して、それに応じた在庫を持つというのが基本的な在庫理論の考え方です」

–しかし実務家の多くは在庫理論を使っていません。

「従来の在庫理論の理論、私は『古典OR(オペレーションズ・リサーチ)理論』と呼んでいますが、これは40年前に確立した理論です。そのため現在では使い物にならなくなっている部分がある。流通在庫にはそれなりに当てはまるものの、生産在庫には使えない。しかし、それ以外に方法がなかったので、実務家はだましだまし使うか、あるいは『理論なんて使いものにならない』として切り捨ててきたのが実情です」

–使い物にならない部分とは?

「1つはコンピューターによる在庫管理に適応していないことです。古典OR理論はMAP(Material Requirements Planning:資材所有要計画)が登場する以前に開発された手法で、これを現在のコンピューター化された生産管理システムに適用して安全在庫を計算すると、過大な値になってしまう」

–MRPというのは、製品を部品に展開して必要な在庫量を計算するシステムのことですね。そして現在のERP(Enterprise Resource Planning:統合業務パッケージ)もMRPベースになっている。

「そのために現在のERPも、在庫水準の設定は担当者任せになっています。ERPやAPSには在庫基準値を入力して在庫を適正な在庫基準値を設定する理論がないため、そこは実務家が経験的に推測値を入力している。その結果、推測値が実際の適正水準より大き過ぎた時には在庫過多、小さすぎると欠品が発生するといった事態を招いています。」「また古典OR理論は生産に必要なリードタイムや顧客の要求する納品のリードタイムが一定であることを前提にしています。しかし、実際には生産も顧客の求めるリードタイムも変動するのが普通です。さらに月に1〜2回とか、週に1回といった間欠的な需要にも古典OR理論た対応していない」

 

【ITに経験と勘は通用しない】

–それに対して、勝呂さんは昨年9月に発行された著書「適正在庫の考え方・求め方」(日刊工業新聞社)のなかで新しい在庫理論を提唱されていますね。この手の専門書としては異例の売れ行きとも聞いています。

「従来の在庫管理の教科書は在庫理論について1〜2項しか割いていませんでした。単に計算式を紹介して、こういう考え方もあるけど、実際には勘と経験が必要ですといった事が書かれていたわけです。『適正在庫〜』では、その部分を一冊に拡大して論じました。その計算式で適正な安全在庫の水準が分かるのかということから、計算式を使って実際に在庫が減らすにはどうしたらいいのかという事を丁重に書いたつもりです」「そのうえで古典 OR理論をERPやAPSに適合するように修正した新しい在庫管理の手法として、私の開発した『 APIM(Advanced Production & Inventory Management :先端的生産在庫マネジメント)』の考え方を紹介しました。『APIM』は現在、特許も出願中です」

–APIMの考え方を簡単に説明していただけませんか?

「完全な受発注の場合、在庫は必要ありません。在庫が必要になるのは見込み生産のときです。しかし実際のビジネスでは受注生産と見込み生産で、きれいに分けられるケースはまれです。顧客の要求で納期よりも聖戦のリードタイムが長い時に、見込み生産による在庫が必要になるわけですが、要求納期も生産リードタイムも常に変動します。そのため受注生産と見込み生産が混在しているのが多くの会社の実態だと思います」「そこで APIMでは『見込み生産比率』によって受注生産分を安全在庫の計算から除く。そして、顧客の要求する納期と生産リードタイムのタイムラグ(実効リードタイム)から安全在庫の水準と発注点を求めるというアプローチをとります。これによって理論的に適正在庫を計算できるようになります」

 

【なぜ日本企業の収益性は低いのか】

 

–そもそも、勝呂さんが在庫理論に注目した理由は

 

「在庫は組織と組織の間に溜まるものです。それをコントロールするには、誰もが納得できる理論が必要です。理論がないと、力の強い組織の言いなりになってしまう。その組織だけに都合の良いことになってしまってしまう。それを避けるためには普遍的な価値を持つ、あるいは理論的に正しい数値を提示する必要が有ります。しかし、これまで日本には理論を受け入れる土壌がなく、理論そのものが使えなかった」

 

–そもそもこれまで日本企業は在庫を減らすことに、それほど重きを置いてこなかったのでは。

「企業によって温度差があります。トヨタは何十年も前からそれに取り組んできました。私が以前に勤めていた東芝もバブルが崩壊するまでの80年代後半からトヨタ生産方式の導入を目的とした在庫削減運動に徹底して取り組んでいました。そして最近、キャノンやソニー、 NECなどが本格的に生産革新に取り組むようになって、ようやく在庫の問題が経営者レベルで脚光をあびるようになってきた。しかしいまだにそうした意識のない会社の方が多いのが、日本の会社の実情だと思います。」

 

–経営者が気にしているような経営指標には、在庫削減の効果があまり鮮明には現れてきません。それも影響しているのでは。

「在庫の評価指標が未整備だという問題は確かにあります。それでも長い目で見れば在庫管理はその会社の収益力に影響してくる。今の日本の製造業の最大の課題は競争能力と収益力が一致しないことです。つまり、競争力があるのに儲からない。『強い工場、弱い本社』などと言われないように、現場はすごいけれど収益力はないという会社がいっぱいある。実際、エクセレントと言われている欧米の製造業者でも、現場は日本に比べるとはるかに下です。ところが会社の収益力ははるかに上。この違いは何なのか。やはり生産管理や在庫の適正化のようなシステム的なアプローチの違いだと私は考えています」

 

 

【新しい在庫理論が管理実務を変える】

月刊/ロジスティクス・ビジネス 特集/在庫削減の上手な会社
2004年2月

 

九州で見たトヨタ生産方式

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/10

 

【九州で見たトヨタ生産方式】

(株)ティーエスシーコンサルティング 代表取締役
技術士(経営工学部門)、中小企業診断士 勝呂隆男

 

 

「在庫は悪だ」という思想は、今日では経営者にとっても工場管理者にとっても常識になっているようである。かつて在庫は、企業の財産であり、必要な資材を大量にかかえ、製品を倉庫の中にぎっしり持つことが企業の夢であった時代を考えると隔世の感がある。

在庫を多く抱えることは、それだけ多額の資金を眠らせることになり、経営効率を下げる結果となる。キャッシュフローの低下は経営体質を悪化させ、企業価値の下落を招くことにもつながる。また、造りすぎによる在庫は、陳腐化によるリスクを招くと同時に様々な効率低下の原因となる。

 

この考え方の源流をたどると、トヨタ生産方式に行き着く。トヨタでは、次のような「7つのムダ」ということを言っている。①造りすぎのムダ②手持ちのムダ③運搬のムダ④加工そのもののムダ⑤在庫のムダ⑥動作のムダ⑦不良をつくるムダ

 

この中で最もやってはいけないムダが、1番目の造りすぎのムダであり、その結果生まれるのが5番目の在庫のムダである。 トヨタの生産方式は、第1石油ショック時にその真価を発揮し、これをキッカケに世界中の企業が注目するようになった。今までは多くの企業が注目するようになった。今では多くの企業がその導入を試みてる生産方式である。

数年前、九州にあるトヨタの工場と別の自動車メーカーの工場をまとめて見学する機会があった。自動車メーカーの製造現場を比較することで、トヨタ生産方式の神髄を理解しようとする試みである。

そこで何を見たか?トヨタでは工程間の仕掛在庫を堂々と持って生産をしていたのです。疑問をぶつけると、「自分たちで考えて必要と判断したら、必要な在庫は積極的に持つようにしている。以前、同じ指摘をある学者から受けて、トヨタ生産方式の破棄と批判されたことがあるが、何もわかっていないのはそう言う外部の学者の方である」という答えが返ってきた。

同時に見たもう一社の工場は、トヨタ生産方式を導入しており、工程間の仕掛かりは持たず、しかも製造工程の自動化はトヨタより高度に進められていた。現場の作業員の動きも、トヨタよりもずっと速かった。しかし、当時の収益はトヨタの方がずっと良かったのである。 トヨタ生産方式を生み出した元祖トヨタと、これを導入しようとする会社の違いについて考えさせられた。

 

トヨタ生産方式を研究して導入している企業にとっての「あるべき姿」は、お手本であるトヨタのやり方にすぎない。それは現場の方針ではなく、導入を指導する部門や幹部の考え方や方針であることが多いようである。ところが、元祖のトヨタでは「現代の問題」が先生であり、現実的・合理的に問題解決を行っているのである。例えば、かんばん方式は問題解決の結果が形を示したものにすぎない。肝心なのは現実の問題の解決策を突き詰めて考え、常識にとらわれずに方策を実行していくという企業文化ともいうべき行動様式である。

 

トヨタのやり方に学ぶ企業はこれからも増えていくだろう。しかし、形だけ真似るだけではなく、現実の問題に学ぶという姿勢こそ導入すべきものである。

 

創造のひろば 九州生産性ニュース NO.103
平成15年5月20日発行 財団法人 九州生産性本部