2018年1月16日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.184【ニーチェは死んだ】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/01/16

 

【ニーチェは死んだ】

「神は死んだ」 で知られるドイツ人哲学者ニーチェは 神のいなくなった世界における
力への意志を完全肯定したことで ナチスの誕生をもたらしました。

ちからづくなんて納得できないと、 若い頃から疑問に思っていましたが 悪人に攻撃されたときに
力を持って反撃しなかったらどうするの? という反論を覆せずに半世紀が経ってしまいましたが 最近になって、
力の肯定を否定できるようになりました。 それは、私自身の個人的な体験に基づくのですが 、
自分に悪さした方々が知らないうちに自然と滅び去っている という事実に気づいたからです。
友人に話すと「因果応報だね」と言われるのですが まさにその通りです。 以下に、
この気づきのきっかけとなった経験をお話しします。 野山を駆け回って育った私は中学入学後に受けた
県下一斉模擬テストで、いきなり1番になってしまい それを自慢に思った父が、
地域教育界のボスに 「息子で勝負しよう」と挑んでしまいました。

父も教員で、ボスの息子が私と同学年だったのです。 翌年の始業式で 校歌斉唱の指揮者をしていた私は
全校生徒の前で、新赴任の教務主任の先生に突然罵倒されました。
「左右の手の角度が不揃いのこいつの体育の通信簿は2だ!」と、 また新しい学級担任は、
父の若い教員時代の担任生徒で、 教室で起きた盗難事件で冤罪の被害にあった生徒でした。
それから卒業まで、教員と生徒が一体となった学校ぐるみのいじめがはじまりました。

当時は「いじめ」という言葉もなかったので なにがなんだかわからないけど苦しいという状況に
喘いでいましたが 友達ができないのは自分の性格が悪いからだと毎日善き人間になるべく
報われぬ努力をつづけ、 校外模試の成績が良ければ先生も機嫌がいいのでガリ勉になり、
その飢餓感を埋めるべく濫読多読の読書が始まりました。 ところが卒業後1ヶ月で、
卒業式の日の朝廊下で殴りかかってきた同級生が 無免許バイクで電柱に激突して即死し、
さらに高校時代には教務主任が、大学時代には学級担任が 共に40代半ばで急死しました。

当時は特に因果関係に思いをはせることもなかったのですが 大人になってから、あるきっかけで
父を殴ってしまいました。 私が人を殴ったのは生涯この時一回きりです。 それを見ていた母が、
先の事情を初めて明かしてくれたのです。 それから時間をかけていろいろの事の理解が進み
今回の理解に至ったわけです。 力の否定にまでたどり着いたのは 因果応報だけでなく、
以下に示すような論理的な考察を踏まえての事です。 つまり、テクノロジーの進歩による
レバレッジ効果の拡大により 15歳のパソコンおたく少年でも全人類を滅亡させる事が (理論的には)
可能な時代になったのではないかという時代認識です。 虎や熊より非力な人間にとって「力」の
最も原始的な形態は「数の力」と考えられますから レバレッジ効果により、
これが意味を持たなくなった以上、 最大多数の最大幸福という原理が成立しなくなったと考えると
力そのものを否定せざるを得ないのではという思慮に至ったわけです。

実際のところ、私自身も先の3人の死の経験から 仮説を立てて、レバレッジの実証実験を行いました。
生身の人間を対象にしてはいけないと思い、 多くの情報を持っていたとある大企業を相手に実験を行ったのです。
寸前でブレーキを踏んでストップをかけましたが 組織崩壊寸前までいき、最終的に経営陣お二人の
犠牲者も出してしまいました。 そして、この仮説は、流れを止めない適正在庫の理論研究の過程にも
貢献しています。 核兵器開発を推進したことを後に悔やんだアインシュタインの轍を踏まぬよう
この仮説は封印しますので、皆様ご安心くださいませ(笑) で、実際どうすればいいんだ?

 

という事ですが、 次の3つではないかと思っています。

1、力を恐れない 2、力を行使しない  3、復讐をしない
今回、いろいろ論議を呼びそうですので みなさまからのご意見大歓迎です。

 

【やさしくあるこうよ】

だまされる人よりも、だます人の方が、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。
ー太宰治『かすかな声』より

 

 

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