第19回(通算77回)何度でもやり直せるという安心

【時間の起源はオタク?】

 

パソコンはおろか、電気もなかった時代のオタクは何をやっていたのでしょうか。

 

きっと、空を見ていたのだと思います。太陽が朝昇り夕に沈み、また翌朝昇る。 月が満ちて欠ける。 季節の星座が繰り返し巡ってくる・・・。現代でも、こんなに面白いものはないですからね。

 

このことから、私は”時間”という概念は、オタクたちが生みだしたのだと思います。つまり、時間の起源は、日が昇って沈み、また昇って沈むという繰り返しに気づいた発見にあると考えるわけです。すると、時間とは過去から未来に向かって一直線に進んでいくのではなく、ぐるぐると回っていくものだということができます。

 

このような時間概念からの論理的帰結が、「なんどでもやり直せる」という事になります。今日がだめでも明日がある。今年はできなかったけど来年はきっとうまくいく。今生では結ばれなかったけど来世ではきっと・・・ と考えることで、生きることがずいぶん楽になります。

 

では、ものづくりの世界ではどう考えたらいいのでしょうか。品質不良や大幅な納期遅れを出してしまったら、顧客や市場そのものを失うことになりますから、やり直せばいいやとは思えませんね。しかも、手直しが多発するとコスト増を招く結果となりますし、納期遅れの原因にもなりますから、1発合格が理想ということになります。

しかし、脳科学の知見によれば、失敗してはいけないと強く思いすぎると、失敗率は上昇するのだそうです。なので、何事も「だめだったらやり直せばいいや」と考えられる余裕がある方が、結果的に成功率は高くなるわけです。

 

【生命は循環しながら続いていく】

顧客を失い、市場まで失ってしまったら、商品寿命は尽きることになります。つまり、生命が失われたというわけです。一つの商品だけでなく、会社全体の売上が止まったり、コスト増に追いつかない状態が長く続くと、経営が立ち行かなくなって、やがては倒産、つまり会社としての生命の終わりとなります。人の一生でも同様で、生きていれさえすれば何度でもチャレンジを繰り返すことができますが、命を失ってしまったらそこでお終いです。

 

ここまで、命の終わりという言い方をしてきましたが、生命とはそもそも何なのかを、この連載で考えたことがありました(2017年11月号参照)。その時再定義した生命とは、「循環しながら続いていくもの」というものでしたが、ここで先の循環時間とつながってきます。

親の個体が死んでも子供につながって続いていく、あるいは牛一頭の生命は途絶えても牛肉を食べて生命を維持する人間につながって続いていくというのが“循環”という言葉の意味するところですが、この循環と、日の出と日没の繰り返しを同じ事であると捉えるわけです。

すると、生命=時間という等式が成り立つことになるのではないかと思います。

【流れを止めない適正在庫】

時間、すなわち生命が続いていくことで生まれる流れをモノの流れとして捉えたとき、流れを途絶えさせないためには、要所要所に適正量の在庫を配置することが必要になります。さらに、これだけでなく流れを積極的に生み出すためにも、局所的な過不足を作り出すことが必要とされますが、これも各所の在庫配置バランスによって実現可能となります。マーケティングの基本は、局所的な過不足を人工的につくり出すことにあると言うこともできるわけです。つまり、3ヶ月後に15Kg減量に成功してスマートになった自分自身のイメージと現状の姿とのギャップを生み出すことで、減量サポートというサービスの売上増を狙うという訳です。こう考えて、テレビや雑誌に出てくるカッコイイ美男美女は、現実世界にはまれなマーケティングツールなんだと理解するとコンプレックスが和らぎませんか?(笑)

 

また、先述したようにやり直しが許されるという心の余裕は、不具合が出たときに後工程を止めない為の安全在庫を保有することで生まれます。また、工程能力も歩留まりも変動します。最終需要も増減するため、流れの速さは常に一定にはなりませんから、中間在庫を適正量保有することで工場の中に流れがつくることができます。工場の外に目を向けて、サプライチェーン全体で考えてもしかりです。

 

適正在庫という考え方は、「在庫は悪だ」に対するアンチテーゼとして示したのが始まりでした。在庫そのものが悪ではない、適正量管理ができないことこそが問題であると。そして、在庫の起源が農耕生産によって蓄えることができるようになった食料在庫であることから、在庫自体は安心のよすがとなる善なるものであるという主張をするようになって今日に至ります。

 

そして、最新の適正在庫の考え方は、流れを止めないために必要とされる最小限の在庫量であるというところまで進化しました。ここで、流れを止めないということの意味を深く考えると、やはり安心のよすがということに行き着くことに気がつきます。つまり、流れが止まらずに続いていくことで、何度でもやり直すことができるということが、安心を生み出すと考えられるからです。

 

太陽が夕に沈んでも、明日の朝には必ずまた日が昇るということ、つまり明日にまたやり直せるということが、一番の安心のよすがであり、その繰り返しを支える技術が、流れを止めない適正在庫の技術なのです。

 

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