第23回(通算81回)「ハイブリッド・コミュニティ」の創造とその価値

【モノからサービスへの流れの先にくるもの】

私は、読者の皆さんと同じく、工場におけるモノづくりを通じて多くを学びました。若い頃は、日本のモノづくり技術は世界一と言われ、海外からその技術を学びに来られる方々が大勢いらっしゃいました。私自身も職場で、外国の大学からのインターン学生の指導係を何人も務めたことがあります。

その後、時代の変遷があり、経済活動の主体がモノからソフト・サービスへと移っていく様子を、まさにリアルタイムで体験してきました。

最近は、「デジタライゼーション」や「サブスクリプション・マーケティング」という言葉に示されるように、情報やサービス自体が価値を持っているのであって、モノ自体は単なるハコに過ぎないとでもいうような風潮を感じますが、私自身は「でも、やっぱりお仕事として大切なのはモノづくりで、これが基本でしょ」と思っています。きちんとつくられたモノの在庫は、安心のよすがとなるからです。

一方、毎日の生活者としての視点で振り返ると、安心というのは人との関わりにおいて意識される気持ちではないかということに気づきます。そう考えていくと、モノに始まり、ソフト・サービスへと形態を変え、さらにその先に求められるのは何かと考えると、「コミュニティ創造」という言葉が浮かび上がってきました。

【「ハイブリッド・コミュニティ」とは】

いちばん身近なコミュニティは、家族や地域社会ではないかと思います。1人の人が生まれ育っていくベースとなる場であり、生活の基盤となる、血縁・地縁で物理的なつながりの確保されたコミュニティですので、これを「リアル・コミュニティ」と呼ぶことにします。そして、このリアル・コミュニティの集合離散により拡大されて、国家や国際社会が形成されているという見方ができます。

昨今、近年発達のICTにより、人類がこれまで経験しなかったタイプのコミュニティが誕生しつつあります。SNSに代表されるインターネットつながりのコミュニティです。以前話題となった仮想空間を舞台とするセカンドライフなど、広義にはソーシャルゲームと分類されるもので、ポケモンもその仲間ではないかと思います。これらは、物理的・身体的な接触を伴わない点において、「ヴァーチャル・コミュニティ」と呼んでいいのではないかと思います。最近は、ヴァーチャルな仮想空間に逃避する方が増えているように思います。

なぜ、ここに逃避するのかというと、ここにはある種の自由が存在するからです。いろいろな自由の内、最たるものが、出入りの自由です。血縁・地縁、さらには法律・契約で縛られているリアル・コミュニティは生まれた場所で決まってしまい、そもそも自分の自由意思で入っているわけではないこともあります。また、いったん入ってしまうと簡単には抜け出ることが困難であることが多く、そのことから、生き辛さや閉塞感に苛まれる人々も多く存在します。それに対して、ヴァーチャル・コミュニティは、自分で選んで入り、嫌になったらいつでも抜けることができます。

生活の基盤となる確かさはあるけれど息苦しさもあるリアル・コミュニティと、自由だけどふわふわしているヴァーチャル・コミュニティのいいとこ取りができないものかと考えて、生まれたアイデアが「ハイブリッド・コミュニティ」です。

トヨタのプリウスに代表されるように、ハイブリッド技術は日本のお家芸ではないかと思います。中世の仏教伝来や近代の西洋文明を吸収しての独自文化の創出も同様です。

では、具体的に「ハイブリッド・コミュニティ」とはどんなものでしょうか。それは、生活基盤としての経済活動が、それぞれのコミュニティ内で循環し継続可能なローカル経済を実現します。また、複数のコミュニティが、同一空間内に多重化されて存在させることを可能にする、精密な情報コントロールを実現することができます。

このうち、ローカル経済実現のキーアイテムが、先月号に示した未来のスマートウォッチというわけです。

【ソサエティとコミュニティの違い】

ハイブリッド・コミュニティという発想は、もともとは、現政権および経団連のすすめる国家戦略「 society5.0」 に触発されて生まれたものですが、society(ソサエティ)とcommunity(コミュニティ)の違いは何だろうと疑問に思い、英国のロースクール留学から最近帰国されてNGO関係のフリーランス業務をされている友人 に相談したら、次の回答をいただきました。
「既存の制度的背景を考えると、構成人数という数の包含関係ではありませんが、多くの場合、包含関係にあるのが現状です。あくまで私の考えですが、 私はコミュニティは価値観/文化的背景/目的/場所を共有しているもので、ソサエティ はむしろもっと社会的な基盤/関係を構造的に共有しているものだと感じています。すべての人がこのフレームで使い分けをしているわけではありませんが、少なくとも、国連の文書はこの感覚で使い分けられています」。

これを聞いて、社会の中に多重化されて複数存在するハイブリッド・コミュニティ間での暮らしやすさ競争を促すことが、よりよき社会を創造する戦略になる可能性があるのだと意を強くしました。日本発の技術が世界をカイゼンできると考えるとうれしくなります。また、どちらの言葉も英語であり、外来文化の所産であることに気づきました。

であるならば、日本発のハイブリッド・コミュニティには、もっとふさわしい呼び名が必要ではないかと思います。読者のみなさまも、一緒に考えてみていただけないでしょうか。

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