2018年6月19日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.205【まぁ、しゃあねぇか】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/06/19

【まぁ、しゃあねぇか】

 

先週号の「大切の大切をたいせつに」は、応用がひろがりそうです。

そのひとつが、コレ
「まぁ、しゃあねぇか」

今回の気づきは、ある友人との会話から生まれたのですが、
何気ない会話の中で、共通の知人の事が思い出されて
自分にとってはそれほど大切でもなくても
いま目の前にいる人にとってはとても大切な人である事に気づいて
無意識のうちに、口が勝手に動いて、発せられたフレーズなのです。

具体的には、
「となりの家のおやじさんにはむかつくけど、おっかさんにはガキの頃からお世話になっているしな、
今回の一件は、まぁしゃあねぇか、ゆるしたろ」
とか
「ずっと好きなひとがいて思い切って告白したら、そのひとにもずっと好きなひとがいて、
そいつは自分の敵で、息の根を止める寸前まで追い詰めたところだった。
でも、好きなひとの悲しむ姿をみたくないので、このへんでかんべんしたろか」

などというわけです。

赦すことは手放すことであり、
自分自身の心の平和につながりますが、それはなかなか難しいことだったりもします。
それが「相手への報復」という行動につながると、争いは止まらず、悪循環が生まれてしまいます。

「まあ、しゃあねえか」が、大切な人を媒介にして広がっていけば、復讐の連鎖にも歯止めがかかり、
世界から不毛な争いはなくなるような気がしています。

ホームステイや文化交流などから、「大切な人」のつながりが広まれば、
テロや戦争、差別意識からの民族紛争といったレベルにまで影響が及ぶかもしれません。

ダライ・ラマや、ローマ法王、、、が熱心に、赦すことの大切さを説けば説くほど、
もしかして、加害者の味方をしているんじゃないかという気がしていました。

「丸ごと赦して恨みつらみはなかったことに」よりも、
「まあ、しゃあねえか」がつながっていくことに無限の可能性があるんではないかと思います。

 

【やさしくあるこうよ】

あまりにも世界は広いから、私にとってどうでもいい人たちにも、それぞれにその人をどうでもいいと思わない人がいる。

そして私にとってどうでもいい人の中に、やがてどうでもよくなくなる人が出てくるかもしれない。
増えたり減ったり、満ちたり引いたりしている。

ーよしもとばなな『さきちゃんたちの夜』より

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