2018年8月28日(月)ほぼ週 適正在庫の視点から Vol.214 【ベルイマンとゴールドラット】

 

【ベルイマンとゴールドラット】

 

スウェーデンの映画監督 イングマール・ベルイマンの生誕100年記念映画祭があり、

30年ぶりに数作品を観ました。

 

歳を重ねると受け止め方がだいぶ変わります。

なかでも大きく変わったのが、ベルイマンの代表作といわれる「野いちご」と「処女の泉」です。

 

「野いちご」は、婚約者を弟に奪われた過去を持つ、厳格な老教授が名誉博士号授与式に向かう道中を描いたロードムービーです。

息子の妻が同乗しての道中に過去の思い出がフラッシュバックされ、これと途中から合流した若者男女3人のヒッチハイカー達とのエピソードを交えてのストーリーだったので、学生時代に観た時は、知識人の寂しい最期を描いた作品だと思っていました。

 

ところが還暦を迎えた今、まったく逆の映画であることに気づきました。

ラストシーンが、ベッドで息子の妻に看取られての最期だと思っていたのが、

実はそうではなくて、義理の娘に対して「君が好きだよ」と言った上、次のシーンでは総白髪に黒髪が混じり、若返った姿を表現していたのです。

 

ヒッチハイカーの若者達は車中で、女の子一人をはさんで男の子二人が「神は存在するか」

論争を繰り広げ、最後は取っ組み合いの喧嘩になってしまいます。

これを見ていた老教授は、深遠な議論の正体が実は女の子の取り合いであることに気づきます。

 

そして、弟に奪われた婚約者が、厳格すぎる自分に対して、教会の司祭のようで寂しいとこぼしていたことを思い出します。

 

その上での、若返ってしまったラストシーンとなるわけです。

なので、この映画から私が受けたメッセージは、

「好きだという気持ちを大切に!そしてそれを正直に伝えよう」

です。

でも、これって現代日本でやったら、即セクハラで訴えられそうですねw

 

「処女の泉」のほうの詳細説明は省略するとして、

真の愛とはなにか、許しの本質は、といった深遠な議論を巻き起こした作品です。

 

ところが私は、悪魔の餌食となった娘の最期の地で、父が神に次の誓いをするラストシーンで大笑いしてしまいました。

「神よ、私は犯罪者を許し、その証としてこの地に(お金をかけて)近代的な教会を建立します」

 

複数ある、深遠な議論の解決策は、それぞれコンフリクトを起こしています。

復讐心と正義、真実の愛と貞節、、、などです。

 

こんなときには、TOC(制約条件に理論)を提唱した故ゴールドラット博士が最後にたどり着いた、シンキングプロセスでは、複数解決案の間でコンフリクトが生じたら、より上位レイヤーでの解決策を考えるべしと言っています。

 

とすると、この場合の父のとるべき態度は、教会に教えられた正義や純潔や貞節や寛容などといった社会規範をいったん脱ぎ捨ててみて、考え直してみることとなるのです。

 

ところが、逆に教会に許しを求めてしまったので、大笑いの結末となってしまったのです。

風刺映画だったんですね(*^_^*)

 

 

 

【m.m】

 

争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない。

 

—『神のみぞ知るセカイ』若木民喜より

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