第24回(通算82回)バランスとアンバランスの構造

 

【バランスとアンバランスの構造】

 

私は大学の専攻が経営工学でしたので、理工学部なのに会計学や経済学が必修単位で、試験前の一夜漬け勉強で苦労した覚えがあります。特に支払や受取を勘定科目に振り分ける仕分けのルールを暗記するのに必死で、訳も分からずにひたすら覚える作業が苦痛でした。当時は、この学問の必要性・重要性を正しく理解していなかったのだなぁと、今になって反省ひとしきりです。というのは、人生60年を経て、この「貸方と借方」という考え方の素晴らしさに気づいてしまったのです。

老若を問わず、理知的な人ほど相手との貸し借り勘定に敏感であることに気づかされます。この場合の貸し借りは、会計計算上の金銭の貸借だけに収まることはむしろまれで、困ったときに助けられたご恩を大きな借りと自覚してきっちり恩返しをする行動や、その反対に仕返しをするような行動を含みます。待たせたり待たされたりの時間の貸し借りも日常的に自覚されることです。そして、お金とお金、行為と行為、時間と時間・・・というように、同じ単位同士での貸し借りになる単純なケースは多くありません。

このように、複雑な計算となる場合が多い「貸し借りというコミュニケーション」を、人間というのは大した能力をもっているもので、日々無意識のうちに行っています。これができない方、あるいはその量的尺度が他者と大きく隔たる方が、いろいろコンフリクションを起こしている様子も観測されます。

大切なのは、貸しと借りのバランスを保つことです。一時的、あるいは部分的にバランスが崩れることがあっても、長期的大域的に帳尻を合わせる努力を怠らないことは、世の中を渡っていくための重要事項です。そして、このバランスを常に保つための計算技術のエッセンスが、会計学にあったのでした。

こんなことにふと気づいた頃、先日招かれた結婚披露宴で同じテーブルについて歓談した方が、高校卒業後半世紀以上経理のお仕事をされてきたことがわかり、以上のお話しをしたところ、「会計・経理をやってきて、一番大事な事として言えるのは、まさにそのことなのです」とおっしゃられるのです。経理計算なんてものは、今はパソコンがやってくれるから楽な作業になったけど、貸方と借方に分けてものごとを見て、かつそのバランスを考えるということに気づくことが大切なのだということでした。

 

 

【バランスの測定単位は時間】

 

金銭の貸し借りという視点の技術はすでに確立されているようですが、時間視点についてはどうでしょうか。貸し借りというより、取引、あるいはもっと広くお付き合いやコミュニケーションという視点で見てみましょう。

今、私はこの原稿を書いていますが、そのために費やした何時間かの時間を皆様にご提供していると言えます。一方、読者の皆様は原稿を読むために一定のお時間を割いていただいています。双方が互いに相手に提供する時間には、それぞれが書いたり読んだりできるようになるために、受けた教育訓練や経験なども、実際の投入時間の積分値に係数を掛けるような計算を経て含まれるべきでしょう。さらに、この原稿を編集し印刷・製本しお届けする方々の費やした時間も同様に投入されています。そして、原稿を書く人は1人ですが、読む人は複数であるという点も重要なファクターとなります。

宅配便を送るときは、お届け日時を指定することが多いと思いますが、事前連絡をした場合でも再配達となった場合でも、配達業者の方と何時から何時までの間は待っている、というようなお約束をして自宅で待機します。これも、ものを送るというアクションと、受け取るために待機するという行為同士の取引ないしは貸し借りということになります。一方で、マッサージやコンサルティングといった人的サービスも、施術や指導を受ける側もサービス提供者と同じ長さの時間を相手方に提供していることになります。

営業電話がくると不快になるのは、相手の目的が売り込みであることが判明するまでの会話時間を奪われているという感覚があるからです。「時間どろぼう」という言い方のできる行為も多く経験するところです。以上のように、時間のやりとりという視点で振り返ると、金銭のやりとりという視点だけでは把握できない貸し借り関係が世の中にはたくさんあることが分かります。

やりとりや取引には、モノのやりとりや気持ちのやりとりなど、様々な形態がありますが、その貸し借りのバランスを保つための測定単位をそろえるとしたら、時間ではないかと思います。時間というのは、万人にほぼ平等に与えられており、生涯時間すなわち寿命という見方をすると、時間は生命量そのものであると考えられるからです。以前述べた生命通貨という発想もこのあたりから来ております。

 

【局所的なアンバランス】

 

貸し借りにおいてはバランスを保つことが大切なわけですが、動的なとらえ方をしないと、世界には活力が失われ生命が終息するように思えます。流れを止めない適正在庫理論の数理的な考察によれば、完全なバランス状態というのは流れの無い状態、すなわち死を意味しています。時空間内の局所的偏在、すなわちアンバランスが必要になるからです。そして、その局所的アンバランスの適正量を計算する技術が、流れを止めない適正在庫算出技術から続々と派生して、誕生しつつあります。

このあたりのお話も、次回以降の本連載でご紹介しながら、みなさんにもこの研究にご参加いただけないかと思っています。

2018年7月10日(火)週刊 適正在庫の視点から Vol.208【走れメロスの納期遅れ】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/07/10
【走れメロスの納期遅れ】

夏の海水浴シーズンまでに5Kg体重を落とす約束を、
フィットネスクラブのインストラクターと、この春にしました。
海水浴に間に合うように、期限を7月1日と定めて、ダイエットをはじめたのですが、
残念ながら、期限までには数百グラムの差で達成できませんでした。

しかし、周囲の方々から「あきらめずに頑張って」と励まされ、
ダイエットを続けて、7月6日の海開きの日に目標達成となりました。

もし、期限までに達成できなかったことで、やけになって大食いしてしまっていたら
逆に大幅なリバウンドとなり、ダイエットは逆効果になっていたことでしょう。

走れメロスも、夕日が沈むまでに、友のもとに帰らなかったら、
友は処刑され、おそらくは自分も処刑されていたに違いありません。

王は、「どうせ間に合いっこないのだから、逃げてしまった方がお前のためだ」
と何度も誘惑の言葉を投げかけていました。

しかしメロスは、もうだめだと思っても、あきらめずに
友との約束を果たすために、走り続けました。

そして、期限までには間に合わなかったものの、
処刑寸前に辿り着いたのです。

その二人の姿は、
何度も何度もだまされたり裏切られ続けたためにひとを信じられなくなっていた
王を感動させ、ついには改心させてしまったのです。

おそらく、期限までに帰り着いていたとしても、王は難癖をつけて、二人とも処刑していたのかもしれません。

こう考えると、たとえ期限に間に合わなかったとしても、あきらめずに走り続けたことが
逆によかったのだとも考えられます。

次工程への払い出し期限、やお客様への納期を過ぎてしまったとしても
なんとか1分でもはやく届けようと頑張ることが大切であると考えると
納期遅れや、欠品に対する見方が、変わってきませんか?

PS.今朝の体重も目標キープしています。お釈迦様も生前はおやせになっていたのだそうですし、
イエスキリストも細身ですから、やっぱりやせていた方がいいですね~(笑)


【紫の花に詩を織る】

できればぼくの仕事は、流行を突き抜けたものでありたいと思っています。だれもが辿りつけなかった「味」の妙味を残すこと。
(中略)
自分にしか成し得ない仕事、この世に生まれたことを恥じない仕事、辿りつけなくてもそれが「勇気」として、押し付けがましくなく人に伝わる仕事であること。それがぼくの「覚悟」です。

「料理人という生き方」/道野正  より

2018年7月3日(火)週刊 適正在庫の視点から Vol.207【まあ、しゃあねえか→まあいいか】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/07/03
【まあ、しゃあねえか→まあいいか】

先々週の「まあ、しゃあねえか」のお話しを、あちこちで致しましたところ、
「しゃあねえか」を「仕方ない」と受け止めて、
この言葉は外国語に翻訳するのがとても難しいことから、
日本文化特有の感情・概念ではないのかと指摘されました。

「mottainai」や「KAIZEN」などと同様に、
そのままの発声で世界に発信すべきではないか?
とも、、、

「仕方ない」には否定的なあきらめのニュアンスがあります。
「しゃあねえか」には、大阪人的な明るいユーモア精神を込めたつもりでおりました。

日本語から日本語への翻訳段階で、ノイズが混入したように思えましたので、
標記のように、「まあいいか」に表現を変更したいと思います。

国際的に通用する表現にするには、
どんな言い方がいいのか、
読者の皆様の知恵をいただきたく、
どうぞよろしくお願いいたします。

はい、英語が苦手なんです(笑)


【たからぶね】

翻訳とは、パラドックスの中で最良の答えを見つけること。たとえそれが、ウソのような答えであろうとも。それが妥協のアートというもの...。

ー  福光 潤 '翻訳者はウソをつく!'より

2018年6月26日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.206【したごころ~】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/06/26
【したごころ~】

したごころ
ないといったら
うそになる
きみのたいせつ
ぼくにもたいせつ

これは、信長が50歳で詠んだのだから
現代の私は60歳で詠もうと思って詠んだ辞世の句です。

なんでそんな気になったのかという理由の詳細は、またあらためてということにして、
その過程で、わくわくするようなアイデア(というより思いつきですが)が生まれたので
以下に記します。

1,時間帯別地震発生確率情報の提供

2.動物異常行動モニターに基づく地震アラートシステム

3.コミュティ内の適正ダイバーシティ度

1は現行の時間帯別降雨確率に加えて、同じく時間帯別地震発生確率情報を計算して提供したらどうだろうか?
という発想です。満月や夏至の近くに地震が発生しやすい等古くからの言い伝えを統計学でロジカルに説明する理論を
構築すれば、季節毎の日内地震発生確率分布は容易に計算できるのではないかと考えたのです。

2は海から魚が消えたとか、羽アリの大量発生とかの動物の異常行動をリアルタイム24Hモニタリングして地震や災害予知をするもので、国家戦略として推進されているSociety5.0のモニタリング対象を
人間だけでなく、動物や植物、更には雲の形など自然現象全体に拡げることで容易に実現できると思います。

1と2を組み合わせると、アラートが出ても、どの時間帯に身構えていればいいかが分かるだけで
被害を最小化できるし、アラートが外れてもそんなにアラートミスによる被害が大きくならないことが
今回実証されたのではないかと思っています。
地震そのものは地球、いや宇宙全体の自然現象ですので、これを人工的にコントロールしようとすることには無理があります。
需要予測精度を完璧にして在庫ゼロを実現しようとする誤りに通じるものがあります。
地震を止めることなどできないのだから、発生したとしても被害を最小にしようという発想です。
そして、遠方に避難しようとするひとが殺到してパニックになることも防止できます。

3については、恥ずかしい理由に関係するもので、
実は今回オオカミ少年になってしまったのですが、
でも本人は真剣だったので身近な大切な人たちには
「こんなこというとへんなおじさんだと思われるかもしれないけれど、、、」
と理由を話し始めると間髪を入れず
「それはとっくにバレバレだから大丈夫です(笑)」といわれて
なにも起こらずに、本当にアホなおじさんが確定してしまったら、
「まぁ、でもけっこう助かったし、かわいいからゆるしてあげる。でもそういうひとはひとりでいいね」
と慰められて閃いたアイデアです。

つまり、ひとつのコミュニティに天然が2人以上いると、天然同士の争いに正常な人たちが巻き込まれて
組織が崩壊するということは、これまで経験的に知られていましたが
これを数理モデルで説明できる基礎理論が、実は流れを止めない適正在庫算出技術だということに気づいたのです。

ということで、私の研究課題はますます山積み状態がすすんでしまい、
とても、生きている間には全部の技術開発がむりそうです。

で、読者の皆さんへのお願いは、
このアイデアの種をもとに、どんどん技術開発をすすめて下さいということです。
もうすでに公開情報にしてありますから、特許をとることは誰もできませんから
みんなの共有財産としてご活用いただければ幸いです。

でも、周辺特許をかためて金儲けを企む奴らはゆるさんからな~(笑)


【m.m】

大切なのは過程です。
結果だけなら、ジャンケンでいい。
          〔羽生善治〕

第23回(通算81回)「ハイブリッド・コミュニティ」の創造とその価値

【モノからサービスへの流れの先にくるもの】

私は、読者の皆さんと同じく、工場におけるモノづくりを通じて多くを学びました。若い頃は、日本のモノづくり技術は世界一と言われ、海外からその技術を学びに来られる方々が大勢いらっしゃいました。私自身も職場で、外国の大学からのインターン学生の指導係を何人も務めたことがあります。

その後、時代の変遷があり、経済活動の主体がモノからソフト・サービスへと移っていく様子を、まさにリアルタイムで体験してきました。

最近は、「デジタライゼーション」や「サブスクリプション・マーケティング」という言葉に示されるように、情報やサービス自体が価値を持っているのであって、モノ自体は単なるハコに過ぎないとでもいうような風潮を感じますが、私自身は「でも、やっぱりお仕事として大切なのはモノづくりで、これが基本でしょ」と思っています。きちんとつくられたモノの在庫は、安心のよすがとなるからです。

一方、毎日の生活者としての視点で振り返ると、安心というのは人との関わりにおいて意識される気持ちではないかということに気づきます。そう考えていくと、モノに始まり、ソフト・サービスへと形態を変え、さらにその先に求められるのは何かと考えると、「コミュニティ創造」という言葉が浮かび上がってきました。

【「ハイブリッド・コミュニティ」とは】

いちばん身近なコミュニティは、家族や地域社会ではないかと思います。1人の人が生まれ育っていくベースとなる場であり、生活の基盤となる、血縁・地縁で物理的なつながりの確保されたコミュニティですので、これを「リアル・コミュニティ」と呼ぶことにします。そして、このリアル・コミュニティの集合離散により拡大されて、国家や国際社会が形成されているという見方ができます。

昨今、近年発達のICTにより、人類がこれまで経験しなかったタイプのコミュニティが誕生しつつあります。SNSに代表されるインターネットつながりのコミュニティです。以前話題となった仮想空間を舞台とするセカンドライフなど、広義にはソーシャルゲームと分類されるもので、ポケモンもその仲間ではないかと思います。これらは、物理的・身体的な接触を伴わない点において、「ヴァーチャル・コミュニティ」と呼んでいいのではないかと思います。最近は、ヴァーチャルな仮想空間に逃避する方が増えているように思います。

なぜ、ここに逃避するのかというと、ここにはある種の自由が存在するからです。いろいろな自由の内、最たるものが、出入りの自由です。血縁・地縁、さらには法律・契約で縛られているリアル・コミュニティは生まれた場所で決まってしまい、そもそも自分の自由意思で入っているわけではないこともあります。また、いったん入ってしまうと簡単には抜け出ることが困難であることが多く、そのことから、生き辛さや閉塞感に苛まれる人々も多く存在します。それに対して、ヴァーチャル・コミュニティは、自分で選んで入り、嫌になったらいつでも抜けることができます。

生活の基盤となる確かさはあるけれど息苦しさもあるリアル・コミュニティと、自由だけどふわふわしているヴァーチャル・コミュニティのいいとこ取りができないものかと考えて、生まれたアイデアが「ハイブリッド・コミュニティ」です。

トヨタのプリウスに代表されるように、ハイブリッド技術は日本のお家芸ではないかと思います。中世の仏教伝来や近代の西洋文明を吸収しての独自文化の創出も同様です。

では、具体的に「ハイブリッド・コミュニティ」とはどんなものでしょうか。それは、生活基盤としての経済活動が、それぞれのコミュニティ内で循環し継続可能なローカル経済を実現します。また、複数のコミュニティが、同一空間内に多重化されて存在させることを可能にする、精密な情報コントロールを実現することができます。

このうち、ローカル経済実現のキーアイテムが、先月号に示した未来のスマートウォッチというわけです。

【ソサエティとコミュニティの違い】

ハイブリッド・コミュニティという発想は、もともとは、現政権および経団連のすすめる国家戦略「 society5.0」 に触発されて生まれたものですが、society(ソサエティ)とcommunity(コミュニティ)の違いは何だろうと疑問に思い、英国のロースクール留学から最近帰国されてNGO関係のフリーランス業務をされている友人 に相談したら、次の回答をいただきました。
「既存の制度的背景を考えると、構成人数という数の包含関係ではありませんが、多くの場合、包含関係にあるのが現状です。あくまで私の考えですが、 私はコミュニティは価値観/文化的背景/目的/場所を共有しているもので、ソサエティ はむしろもっと社会的な基盤/関係を構造的に共有しているものだと感じています。すべての人がこのフレームで使い分けをしているわけではありませんが、少なくとも、国連の文書はこの感覚で使い分けられています」。

これを聞いて、社会の中に多重化されて複数存在するハイブリッド・コミュニティ間での暮らしやすさ競争を促すことが、よりよき社会を創造する戦略になる可能性があるのだと意を強くしました。日本発の技術が世界をカイゼンできると考えるとうれしくなります。また、どちらの言葉も英語であり、外来文化の所産であることに気づきました。

であるならば、日本発のハイブリッド・コミュニティには、もっとふさわしい呼び名が必要ではないかと思います。読者のみなさまも、一緒に考えてみていただけないでしょうか。