第22回(通算80回)仮想通貨の信用失墜とその未来

【仮想通貨の信用失墜】

連載の内容を考えていた春分の日に「リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表した」というニュースが流れてきました。2018年に入り、仮想通貨が大きな話題になったので、本号ではこの仮想通貨について考えたことや感じていることについて述べたいと思います。

最初はその可能性に期待を寄せられていた仮想通貨ですが、度重なる不祥事によって、ついに通貨としての信用を失ってしまい、とうとう、リオデジャネイロで開催されていたG20が仮想通貨の規制に乗り出すという共同声明を発表するにいたりました。20カ国の国々が結束して規制に乗り出すことになったわけです。

ビットコインにしても最近大問題を引き起こしたNEMにしても、仮想通貨という名称で呼ばれ、通貨の一種という扱いを受けていますが、これはちょっと違うんじゃないかな、と常々、私は思っていました。G20の声明においては、仮想通貨ではなく暗号資産という言い方をしていたそうです。

一般的に仮想通貨は、よく言えば金融商品ですが、その実態はギャンブル商品に限りなく近いものになってしまったのかもしれません。ただ、ビットコインは、当初は海外送金目的で中国の方々がよく使っていたそうですので、最初からギャンブル商品の側面だけを持っていたわけではないようです。

とりあえず、通貨の機能を有するものは法定でも仮想でも暗号でも、すべて“通貨”と呼ぶことは許容することにして、通貨にとって何が最も大切かというと、それが信用なのです。その信用の核をなすのが、価値の維持ということだと私は考えました。だから、各国の中央銀行は過度のインフレやデフレを警戒するのです。

 

【法定通貨も仮想通貨の側面を持つ】

そのように考えると、為替レートが変動する法定通貨も、信用失墜が進行中の仮想通貨の一種と言えるのかもしれません。皆で協力し、汗水垂らして一生懸命実現したコスト削減の成果が、わずかな為替変動で一瞬にして吹っ飛んでしまうというのは、誰が考えても異常なことです。

一方で、仮想通貨は値上がり期待の投機対象として、市場で売買されることで価格が変動するわけですから、需要と供給で価格=価値が変動する通貨ということになります。ビットコインは総発行枚数が決まっているということなので、まさに値上がり期待で売買される投機対象ということになります。

最近、流出問題を起こしたNEMについては、問題が異なるように思います。価格変動による信用失墜ではなく、流 出による価値蒸発ということになるからです。大昔の金貨や銀貨のように、形があり重さのある通貨では起こらない現象です。

この場合、流出先に価値が移動しただけならば、また別の問題となりますが、いずれにしても電気信号あるいは磁気信号としての情報自体に価値を担わせる形態の通貨が逃れることのできない、こちらも信用不安問題です。

どちらかと言いますと、ブロックチェーン技術を使った通貨の実体がインターネット上を流れ続けるデータセットであると考えると、その流れが止まる危険性は常にあります。なぜなら、ブロックチェーンというのは、地球上に張り巡らされたネットワークの中を、1秒間に地球を7回り半するスピードで流れ続けるデータセットたる情報パケットに、各地で発生した取引データを次々に追加書き込みしていくところから始まるという理解ができるからです。すると、ネットワーク配線の物理的な断線・分断だけでなく、電力供給が途絶えることにより、情報パケットの流れが止まることで、情報が消失してしまう危険性があるからことに気づきます。これは恐ろしいことですよね。

【フェリカを開発したソニーへの期待】

日本でも、最近は電子マネー支払いが急速に拡大していますが、SuicaやEdyなど以前からある電子マネーと、〇△Payと呼ばれるものとの最も大きな違いは何かご存知でしょうか。

それは、スマホのバッテリーが切れていても使えるかどうかの違いです。バッテリーが切れたら使えないお金じゃ不安になりますよね。また、インターネット上のデータの流れが止まったら消えてしまうようなお金も不安です。SuicaやEdyは、カードやスマホにフェリカチップが情報をローカル保存している点において、価値蒸発の不安がない点で通貨としての優位性があるのです。

流れを止めない適正在庫理論の示すところでは、適正量の在庫がないと流れが止まってしまいます。通貨も、「情報をローカル保存する」ことは在庫があることにつながりますから、この手間をかけることで、「流れを止めないこと」を可能にし、信用を担保しているわけです。

SF的発想になりますが、もし世界一斉停電が長期間続いたときに、電源バックアップがなくなると消失してしまうような通貨だけで経済が運営されている状況を想像してみてください。人間は電気がなくても生きていけるし、商取引もするでしょう。でも、電気がなくなったら使えなくなる通貨しか世界になかったとしたら、経済活動がストップしてしまうことが理解できると思います。

また、たしか、フェリカはソニーの開発した技術で、そのソニーが最近スマートウォッチに積極的であることを知り、大いに期待しています。スマートウォッチは、民主的で分散型の民間通貨システムを実現するためのキーテクノロジーになりうるからです。

なぜなら、生体センサーを活用して未来の基軸通貨たる生命通貨のマネジメント機能に発展可能なことと、日本のお家芸である小型・軽量化技術により、先月号で適正在庫コミュニティとして触れた「ハイブリッド・コミュニティ*」内で通用するローカル通貨として、民間通貨間の利便性競走を、ハイブリッド・コミュニティ間の生きやすさ競走に発展させる可能性があるからです。この点については、次号移行でまた取り上げる予定です。

*家族や地域社会などの伝統的なリアル・コミュニティと、SNSなどに代表されるバーチャル・コミュニティの中間に位置するコミュニティ

 

2018年6月19日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.205【まぁ、しゃあねぇか】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/06/19

【まぁ、しゃあねぇか】

 

先週号の「大切の大切をたいせつに」は、応用がひろがりそうです。

そのひとつが、コレ
「まぁ、しゃあねぇか」

今回の気づきは、ある友人との会話から生まれたのですが、
何気ない会話の中で、共通の知人の事が思い出されて
自分にとってはそれほど大切でもなくても
いま目の前にいる人にとってはとても大切な人である事に気づいて
無意識のうちに、口が勝手に動いて、発せられたフレーズなのです。

具体的には、
「となりの家のおやじさんにはむかつくけど、おっかさんにはガキの頃からお世話になっているしな、
今回の一件は、まぁしゃあねぇか、ゆるしたろ」
とか
「ずっと好きなひとがいて思い切って告白したら、そのひとにもずっと好きなひとがいて、
そいつは自分の敵で、息の根を止める寸前まで追い詰めたところだった。
でも、好きなひとの悲しむ姿をみたくないので、このへんでかんべんしたろか」

などというわけです。

赦すことは手放すことであり、
自分自身の心の平和につながりますが、それはなかなか難しいことだったりもします。
それが「相手への報復」という行動につながると、争いは止まらず、悪循環が生まれてしまいます。

「まあ、しゃあねえか」が、大切な人を媒介にして広がっていけば、復讐の連鎖にも歯止めがかかり、
世界から不毛な争いはなくなるような気がしています。

ホームステイや文化交流などから、「大切な人」のつながりが広まれば、
テロや戦争、差別意識からの民族紛争といったレベルにまで影響が及ぶかもしれません。

ダライ・ラマや、ローマ法王、、、が熱心に、赦すことの大切さを説けば説くほど、
もしかして、加害者の味方をしているんじゃないかという気がしていました。

「丸ごと赦して恨みつらみはなかったことに」よりも、
「まあ、しゃあねえか」がつながっていくことに無限の可能性があるんではないかと思います。

 

【やさしくあるこうよ】

あまりにも世界は広いから、私にとってどうでもいい人たちにも、それぞれにその人をどうでもいいと思わない人がいる。

そして私にとってどうでもいい人の中に、やがてどうでもよくなくなる人が出てくるかもしれない。
増えたり減ったり、満ちたり引いたりしている。

ーよしもとばなな『さきちゃんたちの夜』より

2018年6月12日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.204【大切の大切をたいせつに】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/06/12

【大切の大切をたいせつに】

 

なんだか、天才バカボンのパパみたいですが、
いま私が、流れを止めない適正在庫理論の研究過程で辿り着いた到達点です。

先週号の反響は凄まじく、特に身近な方々からのご意見・おしかりをたくさんいただきました。

「閃いちゃったよろこびからはしゃぎすぎ、
でもこれって、みなが普通にやってることじゃん」

に対しては、コペルニクスの地動説を挙げて
ホントにすごい発明・発見は、聞いた瞬間に当たり前のことだと思うのだ、と。

「いちいち、文章化して契約にする必要あるの?
そんなことしたら、かえってお互いの信頼関係をそこなうのでは」

に対しては、普通は穏やかでも感情爆発で過激な反応をする人を冷静にする効果はある、と。

などなど、いちいち反論したのですが、、、

みな、一様に不安な表情を示すことに気づきました。
ある方は、「こういう社会が実現したら恐ろしいことになるような気がする」とはっきりおっしゃって下さいました。

その意味が最初よく理解できなくて、
気持ちの悪い思いをしながら数日過ごしておりましたら、
何段階かの飛躍を経て辿り着いたのがコレです。

大切な人が大切にしている人を大切にしようとするだけで、
契約や法律や規範なんていらないじゃん。

ここで、”人”を”動物や植物に、さらにはモノや思想にまで拡げていくと
今週号のタイトルとなるわけです。

そして、その結果実現するのが、
でこぼこ社会・世界、つまり多様性の実現なのだと気づきました。

多様性を保った方が、生存戦略的に有利である。
とか、
世界の流れを止めない為に必要なのが、多様性である。

などと、理論や思想からトップダウンに展開するのではなく、
身近な大切な人から始めて、大切な人にとっての大切、さらにその大切と
その輪を拡げていけば、多様性のある世界は自然に拡がっていきます。

自分はクジラ肉が大好きだけど、親友は鯨と一緒に泳ぐのが大好きだ。
とか、
山登りよりもサーフィンのできる海の方が好きだけど、その海は自然の森林の助けを必要としている。
などという具合です。

そして、その結果として世界から不毛な争いや戦争がなくなるのだと思います。

私には、米国にも北朝鮮にもイスラエルにも中国、インドにも大切な友人がいます。
身近な友人や家族をたどっていけば、多くの人がそのネットワークに気づくことと思います。

本日の米朝会談を前にこんな事を考えておりますが、
ふと、気づいてしまいました。

これって、愛じゃん!

その不毛と欺瞞を論証することに躍起になっていた私ですが、
けっきょくこういうことになってしまいました(笑)

PS.キリスト教の愛だけでなく、仏教の縁起でもあるので、
「宗教と科学のコンフリクトをアウフヘーベンしたい」
というライフワーク研究の方向性が定まったように思いますので、
貴重な気づきを与えてくれた友人達に深く感謝しています。

 

【紫の花に詩を織る】

また、もし彼女が扉を開くまいと決めたならば、もちろん私は意図的なさぐりを入れて、無理にこじ開けることはもとより、ノックすることさえ考えてはならない。ディブスや彼女自身の事を聞くのは興味があるけれども、それよりさらに大事なのは、彼女自身に、奥深い神秘な内面の世界を有する権利を持った尊い一個人として尊重され、認識された、という体験を与えることなのだ。

バージニア・M・アクスライン「開かれた小さな扉ーある自閉児をめぐる愛の記録ー」より

註:アクスラインは「遊戯療法」を創始した心理学者であり、ディブスは彼女のクライエントのことである。

2018年6月5日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.203【ハイブリッドコミュニティ時代の社会規範】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/06/05
【ハイブリッドコミュニティ時代の社会規範】

家族や地域社会に代表されるリアルコミュニティと
近年のSNS上に登場したヴァーチャルコミュニティの
中間に存するものとして提案している、ハイブリッドコミュニティの時代が到来したときの
社会規範はどうあるべきかについて考えてみました。

国や州毎に法律が異なるように、
コミュニティ毎に社会規範は異なる訳ですが
ハイブリッドコミュニティ間の移動や所属濃度は各人の自由となる点で
生きやすさは格段に向上します。

ところがこうなると、あらゆるハイブリッド間に共通する、あるいは最上位に位置付けられる
社会規範が必要になって、やっかいなことになります。
やっかいどころか、おそらくそれに起因して争いが起こり、人類は戦争の時代からいつまでも卒業できなくなります。
天下統一の為の戦争という大義名分が現れるからです。

『全員が従うべき掟』が存在する、ないならつくってしまおう!

この発想が、実は間違っているのではないか?
というアイデアが閃きました。

世界にAさんとBさんの二人しかいないとしたら、
AさんからBさんに対する約束と
BさんからAさんに対する約束の
2つのルールをつくればいいのではないか?

世界が三人から成っているとしたら、ルール数は6となります。
n人から構成される社会の規範数は、その組み合わせの数となるわけです。

つまり、ルールは一つである必要は無い
という、APIMのピカソロジックの発展形なわけで、
このような大規模ルール群による社会規範の実現には、
やはりIoTのようなテクノロジーの登場が待たれるわけですが、
このような発想の根底には、

『徒党を組むこと自体が悪である』
という逆説的な発想があります。

人が群れをつくり、ライオンや熊に集団で立ち向かっていた時代には100%の正当性があった
『協力』という価値観は
鉄砲にはじまるテクノロジーの獲得により一人でも猛獣に立ち向かえるようになった時代においては
人同士の争いで『徒党を組む』ことによる紛争の拡大効果によって
正当性が失われつつあるのではないかという考え方です。

同盟関係を根拠とする他者(他国)に対する干渉行為が、
("協力することは善である"と正当化されることによって、)
野放図に拡大することが、戦争がいつまでもなくならない原因のひとつになっているのではないかと考えました。

この拡大効果に一定の制限を掛ける仕掛けとして、

『各人が他者に対して持っている権利の行使にはその他者からの個別な同意を必要とする』

というルールを考案し、さらに個々人・間相互の個別ルールの集合体として社会規範を形成させる。
という発想をしたわけです。

このアイデアを、生涯でもっとも共有時間の長い方、つまり妻に話したら
「おそらく今後数千年間は続く、人類のための新しい規範になるでしょう」
とリスペクトをいただき、第一号を引き受けていただきました。

妻から私に対する誓約書の形をとり、以下の骨子から構成されるものです。

1.私の活動時間を最大化することに協力する。(相手の価値観の尊重)
2.二人の関係に基礎を置く権利を私の同意なく行使しない。(権利と行使の分離)
3.上記1,2に反する言動は無効とし、してしまった場合は現状復帰につとめる。
4.紛争に際しては、身近なルールから始めて、より上位の社会規範に従った解決をすることとし、本誓約書をその最上位に位置付ける。

2年前の結婚25周年にあたって二人で新しい夫婦像を創造しようと宣言した
 http://command-ex.com/L4283/b3014/13201
成果の第一号になるのではないかと思います。

このような、社会規範の創造の仕方について、皆様からのご意見をいただきながら、
バージョンアップ(笑)を図っていきたいと思いますので、
御協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


【たからぶね】

「『全構成員の結集した力で各構成員の身体と財産を守ってくれるような共同体、しかも各個人は他の人々と団結しながらも誰にも服従せず、以前と同様の自由を享受できる共同体の形態はどうすれば見いだすことができるだろうか』。」

ー  ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』(1762年)より
 (18世紀フランスで活躍した、哲学者、思想家。ジュネーブ共和国生まれ。)

2018年5月29日(火) 週刊 適正在庫の視点から Vol.202 【時間のバランスシート】

適正在庫の広場 TSCブログ
2018/05/29
【時間のバランスシート】

昔、簿記を勉強していた頃、貸し方と借り方に分けての仕分けの意味がよくわからず、大分苦労しました。
最近になってやっと、なるほど!と合点がいくようになりました。

貸しがあると(世界のどこかに)必ず借りがあり、その逆も真であり、両者は常にバランスしている

という、基本思想が背景にあるということに気づいたのです。
最近出席した結婚披露宴で同じテーブルに着いた、経理業務歴50年という方に確認したら、
「その通り!」とのことでした。

お金の貸し借りについては、複式簿記という優れたシステムがあります。

時間の貸し借りについてはどうでしょうか?

恋人同士の待たせたり待たされたりは、別解法が必要だと思いますので
酒席のネタにしようと思いますが、

身近な例では、宅配便の受取があると思います。
送る側は、14時~16時というように、幅を持たせて到着時刻を指定します。
受け取る側も、後から受取時間帯を指定できますが、
指定した時間の間は、待機していなくてはなりません。

つまり、受け取る人は、荷物を受け取る代わりに
到着を待つ時間を提供しているわけです。

他にも、レクチャーやコンサルをする人と、受ける人の間にも、時間のやりとりがあります。
時間の貸し借りという視点で世界をみていくと、いろいろの発見がありますが、
まずは、待ち時間の貸し借りという視点を、とっかかりにして考えをすすめています。

で、ここでもテクノロジーによる解決があることに気づきます。
宅配ボックスです。

これを手がかりにして、時間のバランスシートのようなものが開発できないかなと
つらつら考えています。
読者の皆さんは、時間の貸し借りをどう管理されていますか?


【やさしくあるこうよ】

「はるのおかげで、私たちははじめて知ることができました。愛情というのは与えるものではなく、愛したいと感じる気持ちを、相手からもらうことだと」

ー  三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』より